多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

気が合う人、教育について語り合おうぞ!学習ソングも作曲中。

「絶対の道徳なんて無い」で終わっちゃだめだ1・・・萱野稔人氏の言葉「私達は道徳を手放せない」

 

苫野一徳氏の「ほんとうの道徳」を読んで以来、

絶対の道徳なんて無い。 絶対に「正しい」「よい」ということは、無い。

と思って過ごしていたら、

 

たまたま読み返した本、萱野稔人氏(哲学博士)が書いた上記の本に釘付けになりました。長いですが引用します。

P128

…道徳を普遍的なもの、完璧なものにできなかったからといって、私たちが道徳を捨てるわけじゃないということのほうだ。本当に考えるべきは、道徳を普遍的なものにできるかできないかということでなく、普遍的かどうかは分からないにもかかわらず私たちは常に道徳的に行動してしまうという現象のほうなのである。

(中略) 「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に私たちが答えられなかったとしても、その質問をしてきた子どもが人を殺すようになるわけではない。つまり、理由があろうとなかろうと、私たちは道徳に従ってしまうということである。

(中略) 物事を哲学的に考えるということは、道徳的な問題の是非を突き詰めるということではない。哲学の立場というのは、その道理や道徳がいったいどこから生まれてきて、どんな姿で私たちの中に存在するのかということを模索することにほかならない。

 

 …言われてみればそうだ。

普遍的な道徳かどうかはわからない、あるいは、普遍的な道徳なんてないといいながら、

私たちは、道徳的に生きている。道徳を手放せないんだ。

 

なぜだろう。。。また疑問が一つ浮かぶ。

 

【改善】提出物チェック方法 アップデート

 

こういうのを駆使すれば、事務処理はまだまだ改善できそう。

宿題(ノート)類はこれで。

 

あとはプリント類、

アンケートや、

家庭からの提出書類。

 

・班で集めさせて持ってこさせる。ない人のはそこで言わせて把握。

・出席番号順に5ずつ区切った入れ物に入れさせる。

 

↑これはフォレスタネットにも掲載されていました。

丸付け終わったら横向きにするのもいいアイデア

https://foresta.education/estanet/essence/detail/15633

 

2学期までにもう少し考えてみよっと。

道徳科の内容22項目を読み直してみる 1~2

A 主として自分自身に関すること

1 善悪の判断,自律,自由と責任

〔第1学年及び第2学年〕 よいことと悪いこととの区別をし,よいと思うことを進んで行うこと。

〔第3学年及び第4学年〕 正しいと判断したことは,自信をもって行うこと。

〔第5学年及び第6学年〕 自由を大切にし,自律的に判断し,責任のある行動をすること。

(中学校) [自主,自律,自由と責任] 自律の精神を重んじ,自主的に考え,判断し,誠実に実行してその結果に責任をもつこと。

 

 

・前回のブログで書いたように、何が「よいこと」「悪いこと」かは、時代や文化、地域や家庭等によって、また、立場によって変わるよね。

 

・それでも、殺人、窃盗、売春、詐欺、等、現代の多くの社会で「悪い」とされていること、現代の多くの人が「悪い」と思うことはありそうだ。同様に、「よい」とされることもある。この22項目もそれに含まれるだろう。

 

・多くの人から賛同される「よいこと」について、いつでも、どんな時でも「進んで行う」べき?そうとは言えない時もありそう。例えば…地域のゴミ拾いやあいさつ運動を、自分や家族の体調が悪い時や、吹雪の日にもする方がよい?授業中で人が廊下にほとんどいない時に大急ぎでトイレに行きたい場合、それでも廊下は走らない方がよい?乱れているトイレのスリッパを揃えると、いつも揃えない人は成長しないかもしれない。

進んで行うことで何がどうなるのかな。

 

2019/08/26 追記 ・「よいこと」と「正しいこと」はどう違うのだろう。

これは深そうだ。

・人はどうして悪いことをしてしまうのだろう。特に、悪いと分かっていてしてしまう場合。

 

・「正しいと判断したことは,自信をもって行う」とあるけど、自分が正しいと判断した場合はどんな判断でも自信をもって行うべき?いつも自分基準でいいの?

 

どんな場合なら自信をもって行える?自信をもって行うためにはどうすればいい?

 

・そもそも自信って何だろう。それと、自信って、もてと言われてもそう簡単にもてるものではない気がする。根拠のない自信が簡単にもてる人もいるけど、そうでない人もいる。

 

・「自由を大切に」と言われても、とても自由を大切にできるような環境にいない子もいる。

 

・「自律的に判断し」と言われても、学校は実はそのような機会が少ないのでは?家庭でも地域でもそうかも。

 

・「自由」って何だろう。どんな状態、どんなことが自由なんだろう。自由だと、逆に不自由に感じるというジレンマがありそう。例えば、制服。宿題。作文のテーマ。

 

・「結果に責任をもつ」とはどういうことだろう。花瓶を割ってしまったら、自分の非を認めること?反省すること?謝罪すること?弁償すること?

 

・「責任のある行動をする」とはどういうことだろう。そういう責任がもてる行動ということかな。無責任な行動とは、何かあっても責任がとれない行動のことかな。でも、そもそも子どもは、子どもだから責任を免除されていることが多いよなあ。責任をとるのは保護者。…それとこれとは違うのかなあ。

 

・「自律の精神」「自主的に考え,判断し,誠実に実行」…うんうん、ここには納得です。どうやったらできるようになるかなあ。今の学校に、社会に、本気でこれを養おうとしている大人はどれくらいいるのだろう… 管理してばかりのような気がする。

 

 

2 正直,誠実

〔第1学年及び第2学年〕 うそをついたりごまかしをしたりしないで,素直に伸び伸びと生活すること。

〔第3学年及び第4学年〕 過ちは素直に改め,正直に明るい心で生活すること。 〔第5学年及び第6学年〕 誠実に,明るい心で生活すること。

(中学校) [自主,自律,自由と責任] 自律の精神を重んじ,自主的に考え,判断し,誠実に実行してその結果に責任をもつこと。

 

・どうして人間はうそをついてしまうのだろう。不都合なことを回避するためかな。それが一時しのぎにしかならないと分かりそうなものなのに、どうしてうそをついてしまうのだろう。小さい子ほどそれが分からないからかな。切羽詰まっている時ほど、その場しのぎでもいいと思ってしまうからかな。

人からの信頼を失い、後悔したり、良心が痛んだり、そのような経験をしてやっと気付いていくものなのだろう。(本質に迫れる授業、私はできていなかったな。反省。)

 

・「うそをつくこと」「ごまかしをすること」は、どんな時でも許されないのかな。相手を傷つけないために言う、悪気のない嘘は(英語でもwhite lieというらしい)、仕方がなさそう。例えば、「あなた、太っているね」と本当のこと、思ったことを普通は言わない。好きだけど「好きだ」と言わない場合もあるし、嫌いだけど「嫌いだ」と言うと面倒なことになるから言わないことの方が多い。どんなうそやごまかしなら許容されるのだろう。

 

・うそとごまかしは、どう違うのかな?

 

・「素直に伸び伸びと生活する」とはどういうことだろう。

 

・世の中には「謝ったら負け」ということもありそう。

 

・「正直」ってどういうことだろう。「バカ正直」とはどう違うのだろう。

 

・「うそをつかない」のは、大人サイドから言えば、「うそをつかれると、検証のしようがなくて困るからやめてほしい」という、児童生徒管理の面での都合のようにも聞こえる。

 

・「明るい心で生活する」って言うけど、そうでない日もあって当然だし、性格的になかなかそうなれない人もいるよね。明るい心で生活すると、前向きに過ごせ、結果、自己実現に近づくからかなあ。

 

・「誠実」って何だろう。自分の心に正直に生きること?でも、6年生の教科書によくある「手品師」の話のように、「夢を叶えたい」というのも自分の本心、「少年との約束を守りたい」というのも本心、という場合は、どちらかを叶えるとどちらかの気持ちには嘘をつくことになる。また、少年に誠実になれば、電話してきた友達には誠実ではなくなる・・・

 

 

…このように、1つ1つつっこんでいたら、

今日は2項目しか進みませんでした(笑)

気長にいきたいと思います。

 

つづく

所見をスラスラ書く極意★普段に活きる・普段を活かす★

教員向けの投稿サイト

フォレスタネット」 https://foresta.education/estanet/home

に、いくつか投稿してみました。

アカウント名「わだおばちゃん」です。

(登録していないと閲覧できないと思います。)

 

その中から、今回はこちらを転載します。

「クリップ」とか「スマイル」されるとうれしいものですね~

閲覧数も少しずつ上がっていくのがうれしいですね~

https://foresta.education/estanet/essence/detail/1007931?notify_id=6381383

 

所見をスラスラ書く極意

★普段に活きる・普段を活かす★

閲覧数: 126

19/08/18

常時携帯の「ガイダンス記録」と「評価ファイル」に隙間時間にメモ。まず普段の指導に活かせる。

育児休業復帰後すぐで独身時代のように時間がとれない。しかも1年生35人学級!

なのに以前よりも所見がスラスラ書けた。しかも一人ひとりの頑張りやよさがにじみ出た所見が。

 

なぜだろう。

振り返ってみると、それは、「所見を書く極意」なのかもしれないと思い、ここに記します。

 

  • 1 「一人ひとりが活きる、一人ひとりを活かす」意識をもって毎日を過ごす。
  • これに尽きます。具体的には、以下の内容と重なります。

     

  • 2 「決められたことを決められたとおりにする」以外の場を設定する。
  •  

    決められたことを決められたとおりにすることばかりやっていては、そういうことが得意な子ばかりが活躍するようになってしまいます。

    「すごい!」と感心しても、冷静に考えると、「私の指示によく従うようになっただけだ…」「褒めたい、伝えたいのは、こんなことではないはず」という思いにかられます。

     

    それに比べ、児童の持ち味、底力を引き出せたら、「この子ってすごい!」「子どもってすごい!」と心底感じる。すると自然に褒めることができるし、みんなにも紹介でき、認め合える。保護者にも伝えたくなる。同僚にも伝えたくなる。メモもしたくなる。

    結果的に、生き生きした所見が書けます。

    何より、そんな毎日は、教師も子どもも楽しいのです。

     

    例えば国語で、ノートをある程度自由に使ってよいとし、片仮名や漢字の自主練習を価値付ける。しりとりや視写でもよい。どの子がどんな字をどれくらい書くか、しりとりでどんな言葉を書くか。興味関心や実態が表れる上に、それを褒めたり紹介したりすることができる。発表が苦手な子のノートも紹介できる。

    例えば算数で、子どもたち同士で丸をつけたり教え合ったりする時間を設ける。先生が丸をつけてばかり、先生が答えを言ったり書いたりして児童自身が丸を付けることばかりしているよりも、どんな子がどんな言葉を友達にかけるか、どうやって説明するか、どんな友達に助けを求めるか、目標達成を一緒に喜ぶ姿 等が表れる。

    例えば国語で、説明文「じどう車くらべ」で「自動車カードづくり」の時間をしっかり確保する。

    例えば音楽で、時には、グループでの合唱奏や、自分のお気に入りの歌の発表会の機会を設ける。

    例えば宿題で自主勉強の機会を設ける。

    例えば学活で生活上の問題点改善のアイデアを出し合う時間を設ける。

    例えば朝学でフリートークの時間を設け、好きなこと、ものについて語り合う機会を確保する。

     

    また、係活動なども、創意工夫が出せる環境で取り組ませます。

    例えばことわざ係がことわざを教える。クイズ係が給食時間にオリジナルクイズを出す。

    例えばみんなへの呼びかけがうまく行かない時は、呼びかけ方のアイデアを出させ、呼びかける機会を確保し、必要なら支援する。

     

  • 3 生活面・学習面の「自分の願いや目標」を書き、振り返る機会を設定する。
  • 学期の始めや終わりだけ、めあてや振り返りを書くのでは、教師も児童もそれをほとんど意識できません。

    週や隔週で、教師も児童も度々見るもの(例えば連絡帳や音読カードなど)に個人のめあてを書くようにすることで、

    児童の願いを共有できる。教師も手立てをうつことができる。

    その子の頑張りや成長に気付き、一緒に喜べる。

     

    必然的に、所見に書けます。

    (やり甲斐がある上に、一人取りとの絆が深まりますよ。)

     

     

    例「友達にやさしい言葉掛けができるようになりたいという願いをもち、日々振り返りながら過ごすことができました。友達と笑顔で会話する様子が以前よりも一層よく見られるようになりました。」「分数のかけ算・割り算を正しく速く解けるようになりたいというめあてに向かって、学習に粘り強く取り組みました。改善点を自分で考えてノートにメモをするなど、工夫しながら学習する様子も見られ、成長を感じました。」等。

     

     

  • 4 隙間時間にメモする。(○面だけでなく△面も)
  • →学期末1ヶ月前にはでエクセル名簿にまとめる。 →記述の少ない児童に意識して関わる。
  • 私は、授業中や授業直後に、乱筆でメモしていました。

    ①常に携帯している「ガイダンス記録」(日課や名簿が一体化したノート)の、その週のページに書き込み。

    ②各教科の評価について詳しく書きたい時は、「評価用ファイル」(名簿をたくさん綴じたリングファイル)に書き込み。

     

    ①の場合、必ず毎日、毎時間のように見るので、

    その授業の終末や、帰りの会で、全員に紹介し忘れることがないです。

     

    所見締め切り1ヶ月前には、名簿(エクセル)にまとめることで、

    記述の少ない子(所見を書く自信がない子)を把握できます。「ああ、関わりが少なかったな」と反省しつつ、

    残りの1ヶ月間、その子を意識して関わります。

     

    こうして作った「まとめメモ」が、保護者との懇談会の時にも役立ちます。

    所見に書ききれなかったよさだけでなく、気にかかることも含めて、伝えることができます。

     

    さらには、次の学年への引き継ぎ資料作成にも役立ちます!

     

     

     

    先行実践・参考文献

    なし

    「ほんとうの道徳」3 ~「道徳」とは何?~ 

    前回記事はこちら 「ほんとうの道徳」2

    https://shochandoeeeesu.hatenablog.com/entry/2019/08/16/181713

     

     前々回紹介したこちらにも。

    https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2067168850022886&id=100001893735352

     

    …でも、書きます!アウトプット!

     

     今回は第2章です!

    ほんとうの道徳

    ほんとうの道徳

     

     前回の「絶対に正しい」ということはあるのか?という話の続き。

     

    カント(18世紀のドイツの哲学者)は、

    「絶対に正しい道徳法則定言命法がある」と主張しました。

     

    …何百年もの間、宗教戦争に明け暮れていた欧州。どうすればそれに終止符を打つことができるか。哲学者達は考えた。

    当時の欧州人の道徳の源は「キリスト教」。だが、聖書に従って生きようと努めても、争いは終わらないではないか!

    キリスト教から解き放たれ、「人間の理性の力」でよい生き方を考えよう!

     

    この考えは、当時のヨーロッパでは画期的だったそうです。

     

    そのカントの道徳哲学はこうです。

    「『私達が自分自身に課しているルール(格律)』が、他の全ての人もまた守らなければならない法則と言えるかどうかを吟味せよ」

    そして、誰もにとっても当てはまる普遍的な法則と言えるなら、自らの意志をもってその法則に必ず従え、と。

     

    なるほどです! 道徳の授業でも、そうやって吟味すると深まりそう!

    「誰にとっても、いつでも当てはまる?どんな時は当てはまらない?」と。

     

    しかし、カントが言った具体的な道徳法則を見ると……

    ・困っている人には必ず手を差し伸べる

    ・自殺は絶対にしてはいけない

    ・返すつもりがないのに借金をしてはならない

    ・才能があるのにそれを発揮しないのはいけない

     

    …ん? 誰でもいつでもそう言える?! 違う気がする…

     

     

    やはり当時も他の哲学者が批判しました。

     ヘーゲル(18~19世紀のドイツの哲学者)がその一人です。

    例えば、「困っている人には必ず手を差し伸べる」と言っても、自分が困窮する。

    「そんなの理想論だ!お説教だ!」と。

     

    「哲学が本来めざすのは、そんなお説教をすることではなく、

    どのような条件を整えれば、人は『よい』を目がけようとするのか、という、その現実的な道筋を明らかにすることだ」と。

     

    …うんうん、確かに! 

    苫野氏曰く、カントの道徳哲学はヘーゲルによって乗り越えられ、その哲学は今なお道徳哲学の最高峰と言えるとのこと。

     

     

    「絶対に正しい道徳法則なんて、ない。」

    道徳というのは、結局、ある時代、ある共同体(国、地域、学校、家庭など)に限定された”習俗の価値”にすぎない。

    ーーーそれなのに公教育で教えるの?

    ーーーそれなのに特定の価値を押し付けるの?

    異なる価値観との対立が起こるのでは?  道徳のはずなのに…

     

    正義に見えて、自らの正義を掲げてかえって人を攻撃してしまう人が現れる。(「徳の騎士」)

     

    宗教戦争もテロも、そうやって起こった。

    では、どうすればよいのか?!

     

    ・・・・・・・・・・・・・

     

    哲学者たちは、2500年にわたる思考のリレーを通し、ついにあることに気付いたのです。

     

    正しい道徳をめぐって争うのはもうやめよう。そんなものはない。

    道徳(モラル)を統一するのではなく、

    どんな道徳(モラル)の持ち主も共存できるための「ルール」をつくり合おう!

     

    この考えの立役者こそ、例のヘーゲルです。

     

    ①まずは認め合おう。(他者の自由を侵害しない限り)

    ②その上で、共存のための諸ルールをつくり合おう。

     

    これは今日の市民社会を支える土台であり、

    戦争の歴史の果てに、人類がわずか二百数十年前に見つけ出した知恵なのだそうです。

     

    ちなみに「人権」という概念の発明も、近代ヨーロッパの哲学者たちによるものだそうです。哲学者たちが、まさに「ルール」として考え出したものです。 

    (…哲学の役割、哲学による発明なんて、これまで考えたこともなかった私。

    わかりやすく説いてくださった苫野氏に感謝です。)

     

    そして、ヘーゲルは、上に述べたことを「自由の相互承認」と言いました。

    苫野氏がよく使う、いわば合言葉です!

     

    …ん?自由?どこから出てきた、この言葉?

     

    それは、2014年の著書「教育の力」等を読むと、よく分かります。

    教育の力 (講談社現代新書)

    教育の力 (講談社現代新書)

     

    なぜ人間は戦争をやめることができないのか?

    それは、わたしたち人間が、〈自由〉になりたいという欲望を持っているからだ!

    「自由になりたい」「生きたいように生きたい」と思わない人もいるかもしれないけれど、

    一生奴隷のままとか、好きなことを一切できない人生は嫌なはず。

    一生奴隷になるくらいなら、命を賭けてでも戦ってきた。

    家族を守る戦いも、食料や財産を奪う戦いも、「生きたいように生きたい」、「自由」のため。

     

    どうすればこの欲望のせめぎ合いを防げるのだろう?

     

    …例のヘーゲルがたどり着いたのが、こうです。

    自由になりたいなら、お互いが、相手が〈自由〉な存在であることを認め合うほかにない!

     

    もし力づくで認めさせ続けようとしても、長期的に見れば不可能。

    だからこそ、

    ①各人が〈自由〉に生きたいと願っていることをお互いに認めよう。

    ②その上で、相互の承認が得られるように、互いの〈自由〉のあり方を調整しよう。

     

     

    …お!青色で書いた部分は似ている!

    ①「認め合う」+②「調整(すり合わせ)」 ですね!

     

    学校が子どもたちに育むべきは、”習俗の価値”であるモラルではなく、

    この「自由の相互承認」の感度である、というのが苫野氏の主張です。

    公教育は、すべての子どもに〈自由〉に生きるための”力”を育むことを保障するものであるのと同時に、

    社会における〈自由の相互承認〉の土台となるべきものなのです。

     

    そもそも、

    道徳とは何か。

    公教育で行う道徳教育は何をめざすべきか。

    公教育とは何のためか。

    これらを考えることで、私の中にができ、

    「どうあるべきか」を考えやすくなりました。

     

     

    次回は、学習指導要領 特別の教科 道徳 に示された22の項目を

    ”習俗の価値”か、そうでないものか どうなのか、

    具体的に見ていきたいと思います!

     

    つづく

     

    追記 2019/08/21

    以前、職員室で同僚にここに書いた話をした時の感想は…

    「せ、戦争?!そこに結びつくのか〜」

    でした。

    意外なんですね。

    確かに、私にとっても初めは意外だった気がします。

    そんな記憶、初心を呼び覚まされた夏の職員室でした!

     

    追記 2019/08/23

    「ルールをつくり合う」ことこそ大切で、それこそ「市民教育、市民道徳」

    だけど、

    「ルールをつくり合う」は、道徳科の目標、内容には入っていないんですよね・・・

    「ほんとうの道徳」2 授業を茶番にしていた私…

    前回記事はこちら ↓ 「ほんとうの道徳」1
    「ほんとうの道徳」1 ~教育哲学者が語る「道徳」~ - 多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

    あ~~ 「哲学対話」を、授業でもだけど、まずは職員室でやってみたいよ~~~
    お盆休みでもそんなことを考えている変態、多趣味おばちゃんです。

    …もちろん、教育以外のことも考えています。3日間、川遊び。

    …あれ? やっぱり教育に結びつけて考えてるやん!
    いやいや。教育と無関係のこと、考えてる!

    17年前に買った1万円の安物ギターの音に満足できなくなって、マーチン買った!

    家も買った! 家具もだいたい選んだ!


    子守りしながらも、自分の時間も確保!!!それにしても多趣味~~楽しい~~寝不足~~金欠~~~


    さて、前置きが長くなりました。やっと道徳の話。

    ほんとうの道徳

    ほんとうの道徳

    第1章です。

    道徳って、そもそも一体何なのでしょう?
    単純に考えるなら、それは「よい」「正しい」行いや考えのこと。
    でも、「よい」「正しい」行いや考えって、一体何なのでしょう?

    ん~~、法に反していないこと、かなあ。
    でも、法に反していなくても、例えば「順番抜かし」はよくないことだしな…

    …大多数から認められるようなこと、かなあ。
    でも、認められなくても「よい」「正しい」こともありそうだし、その逆もありそう。
    例えば、本当は好きなのに、「ごめん、もう別に好きな人ができたから」と言って別れる
    (実は相手を思ってのことだった)のは、
    「相手のことを本当に思えばこその決断だ」と大勢から共感されて認められそうだけど、
    「本当に愛し合っているのだから、何があっても乗り越えられるはず」
    「相手の気持ちを大切にしていないし、自分の気持ちにも嘘をついている」という意見も出そう。

    …私の実家の普通と、旦那の実家の普通は、全然違う。どっちがよい、正しいなんて、ない。

    …結局、絶対に「よい」「正しい」なんて、ないんだ。


    苫野さん曰く

    学習指導要領に記載された(中略)これらの項目は、残念ながら絶対に正しいとは言えないものばかりなのです。

    !!!(今度、全項目について吟味してみたいと思います!)

    そして、

    文部科学省も、もちろんそのことはよく理解しています。

    そりゃそうか。だから、評価も数値化はしないし、「考え、議論する道徳」をめざそうとしているんですよね。

    にもかかわらず、もしも先生が、それぞれの価値を、「子どもたちに教えるべきもの」として考えていると、
    「議論したけど、結局そこに持っていくんかい!」
    「それって結局、きれいごとじゃない?」
    「先生はどんな答えを求めているのかな」

    と子どもたちは学習し、授業は「茶番」になる。
    そう述べられています。


    …確かに。確かにそうだ。私もそれは分かっていたはず。
    でも、先日の道徳の時間に『命の重さはみな同じ』という登場人物の考えに納得させよう、持っていこうとしていた自分がいた!!


    …私と同じような先生方、いらっしゃるような気がします。

    私の修行はまだまだ続きます。


    次回は第2章「道徳とは何か?」です! 哲学的~~~わくわく~~~

    つづく

    追記2019/08/20
    私の大好きな番組、Eテレ「Q」で、こんな回がありました!
    私もよく言い訳しちゃうんだよな。
    www2.nhk.or.jp

    「ほんとうの道徳」1 ~教育哲学者が語る「道徳」~

     私の愛読書。

    ほんとうの道徳

    ほんとうの道徳

     

    概要は、苫野一徳氏の投稿記事に掲載されています。

    https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2067168850022886&id=100001893735352

    こちらのエデュペディアの記事にも、まとめられています。…私のレビューは必要なさそうですね。けど書きますよ!アウトプット!

    https://edupedia.jp/article/5d485a949a550d994fc8d3c9

     

     

    氏は著書「教育の力」(P216~)等で述べていたとおり、

    「『道徳教育』は本来学校が行うべきではない」

    「代わりにやるべきは『市民教育』です。」

    との立場をとられています。

     

    しかし、そうすぐには変わらない制度。だから、

    「道徳教育をどうすれば実りあるものにできるか」について語っておられます。

     

    提案1 「哲学対話」

    (近年話題の「こども哲学」。さまざまな物事や問題の「そもそも」「本質」を洞察し、できるだけ誰もがなるほどと思える「共通了解」を見出し合います。例えば、「虫を殺すのはいけないことなのか?どんな場合でも?」について話し合う。命を大切にと教師が言うよりも、深い答えにたどり着く。)

     

    提案2 「学校・ルールをつくり合う道徳教育」

    (これは特活と何が違うのかと批判されがちですが、現学習指導要領にも根拠があると示してあります。「市民性を実践しなければ市民性を学べない」 byキルパトリック←デューイの弟子)

     

    提案3 「プロジェクトとしての道徳教育」

     (自分たちなりの問いを立て、自分たちなりの仕方で、自分たちなりの答えにたどり着く、「探究(プロジェクト)型の学び」。例えば、テーマ「死刑制度」で、自分たちで問いを立て、個人やチームで挑む。数週間から数ヶ月のスパンで。最後には成果を互いに発表し合い、議論する。

    壮大!!! 高学年以上向きですね。)

     

     

    ・・・ ワクワク。

     

    しかし、私がワクワクしたのは、これらが述べられている第3章よりも前の部分です!

     

    道徳教育の「うさんくささ」

     

    そもそも道徳とは何?

     

    「よい」「正しい」行いや考えって何?

     

    普遍的な道徳ってあるの?

     

    倫理との違いは?

     

    ルールって何? モラルと、ルールと、マナーの違いは?

     

    「市民教育」って何?なぜ必要?

     

    そういう「そもそも」を考えるのが、愉しい!

    そして、

    これこそ、よりよい道徳科、よりよい教育を考える上で

    私達に必要なことなのでは?と感じたのであります!!

     

    そちらは次回に!

    つづく!!

     

     

    夏の職員室で「イエナプラン」が話題に!!

     

    なぜに急にイエナプランの話になったのか忘れたが、

    とにかくチャンスは突然やってきた!

     

    生徒指導のA先生がガンガン質問して食い下がってくるおかげで、

    幅広く、そこそこ深く、

    1時間弱でみなさんに知ってもらうことができました!

     

    また、「よくある質問」がどんなものか分かりましたし、

    私が初期に感じていたことを思い起こすことができました。

     

    ちょうど手元に苫野一徳氏の著書「教育の力」と「ほんとうの道徳」があったので、

    説得力アップも図れました!手物の力!

     

    お盆休みに読み返し、考え直したいと思います!

     

    「ゴーマンかましてよかですか?」中学校の英語の先生!

     

     …私、本当に自分を生意気だと思います。

     

    …初めて会った中学校の先生お二方と、しかもたった小一時間、

    本音をどこまで話していただけたか分かりません。

     

    しかも、その中学校の先生お二方(大ベテラン)の授業を見たこともないし、

    自分が中学校で授業をしたこともない。

    (中学校の英語の授業は前任校で6年生担任した時に、小中連携で1回ほど見たことはあります。)

    それなのにこんな強気発言する私・・・ 傲慢です。

     

    でもあえて言いたい。

    だって、時には 一般人目線、生徒目線、保護者目線が必要だと思うからです。

     

     

    私は、高校で英語が嫌いになりました。しかし、大人になって少し学び直しました。

    「授業でクラスルームイングリッシュが使えるようになる。自信をもって発音する。」

    「外国人のママ友と話せるようになる」という目標に向かってする学習、

    テストから解放された英語学習は、それはそれは楽しいものでした!

     

     

    子どもたちと「生きた勉強」をしたい!

     

    学校教育現場と、一般社会との剥離を、少しでもなくしたい!

     

    今回の会談は、私のその信念を自覚する機会となりました。

     

    ★★★★★

    さて、異議を申し立てるなら、代案をどんどん示したいところです。

    それこそ『学び合い』の英語実践も知りたいところです。

     

    私の中の一つの理想は、かなり前、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で観た、

    田尻悟郎氏の実践。

    https://www.nhk.or.jp/professional/2006/0907/index.html

    特に印象深かったのは、子どもたちと1人ずつ対話する場面。40人のクラスでもそれをやる。

    ストップウォッチを持って、「○秒!」と言っていたシーン。あれは小テストだったか、音読だったか。

    2年生の九九学習で、「11秒ルール」を作り、同じようにストップウォッチ片手に授業をしていた私自身と重なりました。(おこがましいですが)

     

    氏のホームページを見れば、小学校教員の参考にもなる。

    https://sc.benesse-gtec.com/tajiri/

    例えばこれ。 「ヘァツオン記号」  これ、かなり使えると思います!

    https://sc.benesse-gtec.com/tajiri/guidance/pdf/hi-friends.pdf

    https://sc.benesse-gtec.com/tajiri/guidance/pdf/hatsuon_kigo.pdf

     

    来年度から高学年が、慣れ親しむ「外国語活動」ではなく、「外国語科」となるからと言って、

    むやみに単語テストをするようになってはいけない。肝に命じなければ。

    以下、引用です。

    我々が1週間にハングル語やアラビア語の単語を5つずつ覚えなければならない状況を想像してみてください。それが、生徒の気持なのです。ですから、安易に単語テストをするのは考え物です。

    文字をたくさん見せ、たくさん書かせることと同時に、フォニックスを導入して、文字と発音の関係をある程度理解したのちに、文字と音と意味が合体し始めた頃に「どれぐらい単語を覚えているか試してみよう」というポジティブな気持ちで単語テストをするのがいいと思います。

    私が2006年に担当した中学1年生は、『楽しいフォニックス』(教育出版)という教材を使って、フォニックスの学習をこつこつ積み上げていきました。そして、そこで学習した単語を中心にして作成したカルタを毎日のように楽しみました。3週間ぐらい同じカルタを使ったのちに「抜き打ちカルタ単語テスト」をすると、半数の生徒は1発で正解を書き、残りの半数はヒントを手がかりに正解にたどり着きました。カルタを楽しんでいる間に、自然に単語を覚えたのです。 

     

     

    中学英語と言えば、もうお一方、私の大好きな方がいます。

    • 山本崇雄先生

    「教えない授業」で、私は知りました。

    なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか

    なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか

     

     あ、読みかけだったので、今夜読みます!

     

    Webでは、例えばこちら↓

    セミに学ぶ 英語学習のヒント

    全国の熱血教師による授業に学ぶ英語学習方法伝授  

    第114回 英語の学びをリアルな社会に繋げよう~SDGsを知ろう~

    https://www.cieej.or.jp/toefl/webmagazine/takers-seminar/1809/

    英語は手段ですから、「知りたい」「伝えたい」という目的があってこそ上達するのです。

    112回「学習の見える化

    https://www.cieej.or.jp/toefl/webmagazine/takers-seminar/1806/

    これは割と一般的かもしれません。

     

    こちらの記事も。

    【シリーズ 先を生きる】教師が抱える“違和感”の正体(上)

    https://www.kyobun.co.jp/commentary/cu20180704/

     

    ・・・と、英語教育の話をしていたら、

    オリジナルチャンツを作りたくなってきました。

    都道府県の歌も作っている途中なんだけどな。

    ・・・夏休みが足りない!!!!!(笑)

     

    目標↓これよりノリノリでファンキーなグルーブ( ̄ー ̄)ニヤリ

    NHKCD BOOK 新基礎英語1 チャンツでノリノリ英語楽習! (NHK CDブック)

    NHKCD BOOK 新基礎英語1 チャンツでノリノリ英語楽習! (NHK CDブック)

     

     

     

     

     

    私の原体験1 ~第15回 教室『学び合い』フォーラム全国大会in福岡

    1日目の最後に、その日の午後に6年生算数の実践発表された先生が壇上で語られたのですが、そのお話にものすごく共感したんです。

    (もう今年でご退職らしい。ラストランまで熱く燃え、挑戦し続ける先生に感服!そうありたいと思った!)

     

    その先生は、学級経営にも授業にそこそこの手応えを得ていた50歳くらいの時に、1年生を担任して、自己嫌悪に陥ったそうです。

    しかってばかり。あれ、自分ってこんなだっけ?

    これでいいはずがない、と。

    もう教員辞めよう・・・とまで思ったそうです。

    そんな時に出会ったのが、同僚の先生が実践しておられた『学び合い』。

    挑戦してみよう!と奮起し、教えを請い、

    「一人も見捨てない」「子どもたちは有能」の思いで試行錯誤して来られたとのことです。

    (かなり省略してすみません)

     

    …私と同じじゃん!!!!!

     

    (いえ、私は『学び合い』は実践しておらず、「なんちゃって」を少ししただけです。)

     

    私も去年1年生35人を担任した時に、

    トラブル頻発で叱ってばかりで、

    「自分って、こんなのだっけ?」「これじゃいけない」

    自分に嫌気がさして、「教員辞めよう」とさえ思いました。

    授業でも、授業に身が入らない子、学習内容が分からない、できない子が多数で、

    「これまでの方法が通用しない」「どうにかしなきゃ、でもどうすれば?」の一心。

     

    そこで、算数の練習問題に取り組む際に、教え合いをしたんです。

    早くできた子に「丸付けマン」「お助けマン」になってもらって、

    分からなかったら誰に聞いてもいいよと伝えて

    (答え丸写しは意味ないよねと確認して)

    ・・・

    そうしたら、みんな真剣。私が教えるよりよっぽど一生懸命。

    退屈そうにしている子なんていない。

    早くできた子も、必死!生き生き!

    「できた!」「わかった!」「○○ちゃんに教えてもらって分かったんよ」と目を輝かせて言いに来る。

    「ここがわからん」「これ、〇〇君のやり方やね」「おれ、このやり方が好き」

    生の子どもの声がたくさん。

     

    私は大きな手応えを感じたのです。

     

    国語の「じどう車くらべカードづくり」の調べ学習でもやりました。

    (そうでもしなきゃ、自分で調べて書くのができない子がたくさんいるんですもの)

    「クラスのみんながカードを書き上げられるようにしよう。」

    とめあてを確認してスタート。

     

    ・・・確かに、立ち歩く子がいますよ。

    話す子がいてザワザワもしますよ。

    教室に来られた他の先生から、「落ち着きが足りないね」と言われるんです。

     

    でも、誰も遊んでいないんです。みんな課題に集中しているんですよ。

    たまにパワー切れの子がいたら、周りの子がうまく声をかけるんですよ。

    私が言うよりよっぽど聞くんですよ(笑)

     

    私もひとりひとりの様子・気持ちがよく見取れて、

    何より、楽しい。

     

     

    ・・・当時は、西川純氏の『学び合い』も、苫野一徳氏の「教育の力」で読んで名前だけ知った程度でしたし、

    ザ・自己流です。

     

    それに、それまでの十数年間の教師生活の中でも、このような「教え合い」はもちろんしました。どうにかどの子もできる、最大の学びになる方法はないかと試行錯誤していましたよ。

    でも、去年の1年1組、これほど毎日悩んで、試して、一喜一憂した時はありません。まさに私の原体験です。(38歳にして・・・遅い・・・でも強烈です。)

     

    そういえば、自分が5年生の時の先生も、算数の練習問題は、形はかなり違いますが子どもたち同士の「教え合い」でした。

    そこで私は割と早く解き終わる人だったので、小さい先生として教える役をよくしていたわけです。

    ・・・それが実に楽しかった! どうやったら分かってもらえるか工夫して教えることの苦労と快感、分かってもらえた時の喜び。

    教員をめざすようになったきっかけの1つです。

    ・・・ありました、ここにも私の原体験

     

    つづく