こちらの記事に、こう書いてありました。
http://president.jp/articles/-/21825?page=2
「囚人同士の喧嘩が絶えないある刑務所が、道徳向上プログラムを組みました。片方の群にはプログラムを施し、もう片方の群には何もしないという比較対照群での実験です。結果は、意外なことに「両者全く相違なし」。プログラムでどんなに良いこと(規範意識)を学んでも、実際の行動には反映されず改善されないという衝撃の結果でした。
別の調査で、荒れているクラスとそうでないクラスの規範意識を調べたものがあります。すると、どちらの群でも、生徒たちの「規範意識」については有意な差は出ませんでした。クラスが荒れるかどうかは、本人たちの規範意識とは関係がないということです。」
・・・え!?
道徳性や規範意識は、集団の荒れとは関係ないの?!と、私は愕然としました。
前半の調査はネットで検索しても元のデータが出てきませんでした。
後半の調査は少し趣旨が違うけれど似たものが見つかりました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep/64/2/64_147/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jraps/37/1/37_31/_pdf/-char/ja
荒れている学級とそうでない学級とで、実際には規範意識に差はなかった。だが、荒れている学級は他者の規範意識を低く見積もっている。
よって「規範意識の醸成によるアプローチ」ではなく、「規範についての意識や考えを交流すること」が必要である。
と提案しています。
「自分が思っているほどみんなは荒れた状態をよいと思っていない」ということや
「実際には自分たちの問題行動のことをみんなはよいと思っていないし受け入れてもいない」ということを知ることが手だてになりうるのではないか、とのことです。
話し合いが難しい場合はアンケートの結果を活用するのも一つだと述べています。
なるほど、「集団づくり」や「考え議論する道徳」と結びつく!!
記事の筆者はこう述べています。
学級の荒れを家庭教育で止めるには、
「自分はできているのにみんなはできていない」と思わせないようにすること。
きれいごとではなく、例えば、「習い事があって急いでいる時に、つい渡っちゃうことがある」と本音で話せるようにする。つまり、前提として「自分も守れていない」という認識に立っての話し合いが必要で、「実は、お母さんも守れていない時がある」という本音をきちんと話すことが大切だ。
家庭教育にでいることについての貴重な提言だ。
さて、これを、学校や学級でのことに当てはめてみるとどうなるだろう。
「しゃべってはいけません」「ルールにはなぜそれを守らなければならないか理由があるんです。守りましょう。」そう言っても子どもに響きにくい。
みんなだいたいわかっているけれどできない。
(わかっているようで、心底はわかっていないのだが。)
「みんながきまりを守っていない」または「守ろうとしていない」と思うことと、学級の荒れとの相関があるなら、その逆をすればいいかもしれない。
つまり「きまりを守っている人が周りにたくさんいる」「実は守ろうとしている人が多い」と気づかせればいいのではないか。
「こんなに守れている人がいたよ」「ここがすばらしいと思ったよ」「1学期よりいい。表情も生き生きしている。風格すら漂っている。」「正直、先生が子どものころよりすごい。かっこいい!」
「この班は、静かに素早く並べるようになりたい、というめあてを書いていたよ」
「アンケートでほとんどの人が静かに集まりたいと書いていたよ。思いはみんな一緒なんだね!」
そして、本音で言い合えばいい。
「急いでいるとき、つい廊下を走ってしまうよね」「帰ってから一緒に遊ぶ約束のこと、つい話したくなるよね」と。
本当はきまりを守らなきゃとわかっているんだけどね。本当はみんな「守りたい」と思っているんだ。守らなくていいなんて思っていないんだ。どうしたら守れるようにできるだろう。
と。
もしきまりを守っていない班があれば「何の話なの?」と聞き、「それをしないですむにはどうしたらいいだろう」とみんなで考えるのも一つの手かもしれない。
・・・どうだろうか。
理想で終わらせたくないなあ~