多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

気が合う人、教育について語り合おうぞ!学習ソングも作曲中。

道徳科の内容22項目を読み直してみる 8(感謝)

2019/10/12一部追記

8 感謝

〔第1学年及び第2学年〕 家族など日頃世話になっている人々に感謝すること。

〔第3学年及び第4学年〕 家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に,尊敬と感謝の気持ちをもって接すること。

〔第5学年及び第6学年〕 日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し,それに応えること。

(中学校) [思いやり,感謝] 思いやりの心をもって人と接するとともに,家族などの支えや多くの人々の善意により日々の生活や現在の自分があることに感謝し,進んでそれに応え,人間愛の精神を深めること。

 

 

・低学年から中学年に上がると、「家族など日頃世話になっている人々に」から、「家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に」に変わり、

また、「感謝すること」から「尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」に変わっている。

・さらに高学年では、「日々の生活が家族過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていること」に感謝すると変わり、「それに応えること」が付け加わる。

 

「感謝」について考えるための 私の疑問

①人はどんな時に感謝の念を抱くのだろう。

②人は何歳くらいの頃から、どんな物事に感謝をするようになるのか。(感謝の念の発達段階とは)

③感謝の念を抱きやすい対象とそうでない対象とがありそうだ。それぞれどのようなものか。

 

 思い起こすと私は小さい頃にはあまり感謝の念を抱くことはなかった。お小遣いをくれてありがとう、おやつをくれてありがとう、遊んでくれてありがとう(楽しかったね、また遊ぼうね)、そのくらいだったように思う。

小学校の卒業アルバムに「お父さん、仕事で忙しいのにスポ少の指導や送り迎えをありがとう。お母さん、私を叱ってくれてありがとう。」みたいなことを書いた覚えがある。けれど、今抱く感謝の念に比べると、そこまで深い思いではなかったような気がする。先生に対しても、そこまでの感謝の念はなかった。

 

 そんな私がいつ感謝するようになったか。教員採用試験に合格した年、私を親身になって叱咤激励してくださったゼミの先生に心底感謝した。親身になってアドバイスをくださったチューターの先生に感謝した。本気で喜んでくれ手紙をくれた祖父母に感謝した。一緒に勉強し、励ましあった友に感謝した。実は心の中でずっとあこがれでありモデルとなっていた小学6年の時の担任の先生、そのことにやっと気づいて感謝した。それに気づかせてくれた友達に感謝した。

 

 私の場合は、深い感謝の念は20歳くらいから感じ始めたということになる。なぜなのだろう。人生、生き方について深く考え、自立して生きていくようになったからだろうか。自立していない時は、結局だれかの敷いたレールの上を進む感覚があるから、「されて当たり前、あって当たり前」「もしなくてもどうにかなる、自分の責任ではない」みたいな感覚になるのかな。だから感謝に結びつきにくいのかな。

 

・現在、毎日感謝しているかと言われるとそこまでではないが、

以前かなり悪い状況を経験したおかげで、今のよい状況に感謝することは多い。労働環境や同僚との信頼関係等がこれに当たる。

「以前の悪い状況の経験」、子どもにはこの経験が少ないから、現在の有り難さに気づきにくいし感謝もしづらいのではないか。

 

・家族、衣食住、科学技術の進歩、平和、健康、安全、生きていること については「当たり前」に思えて、大人になってからも、普段は有難みに気づけず、感謝の念も抱かずに過ごすことの方が多い気がする。

それらを失ったり、身近な人のそんな話を聞いたりした時に初めてその有難みに気づくことが多い。家族が死んで家族の大切さに気づく、自分が怪我や病気をして健康の有り難さに気づく、交通事故を起こして平穏な毎日の有り難さに気づく、車が動かなくなって車の有り難さに気づく、ネットにつながらなくなってネットの有り難さに気づく、友達の身の上にそれが起こる 等。 

 

 子どもたちに「日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し,それに応えること。」をつかませようと思っても、なかなかに難しそうだということ。

…家族を失うことを本気で想像したり疑似体験したりする。

…過去からの多くの人の支え、助けが全くない状況を疑似体験する。

それができれば可能かも。

 

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追記2019/10/12

若い頃、こんな道徳の模擬授業を経験した。どなたが講師だったか、忘れてしまったが、載せます。

 

小さい紙を一人8枚か10枚か配る。

T「そこに、自分の大切なものを、1枚の紙に一つずつ書いてください。」

書いた後、

音楽がかかる。(「ユー・レイズ・ミー・アップ」だった)

T「あなたは命の終わりを迎えようとしています。

大切なものとお別れしていかなくてはなりません。」

「お別れする順に、それが書いてある紙を半分にちぎっていきます。」

「まず1つ目をちぎってください」全員がちぎり終わったら、

2つ目、3つ目・・・と続き、手元の紙が減っていく。

 

…最初は、「ステレオセット」「ギター」等と書いてある紙だから、そこまで何も感じない。しかし、残り3、4枚となると、「アルバム」「友達」「家族」となり、

胸が張り裂けるような気持ちになる。

思わず涙が出た。

 

T「私達が死ぬというのは、大切なものとお別れすることなんです。・・・」

そんな終わり方だったように思うが、忘れてしまった。

 

それこそ、「大切なものを失う疑似体験」をしたのだった。

「ありがとう」「有り難い」「大切にしたい」そんな思いで胸がいっぱいになった。

 

本気で「感謝」に迫るなら、このようなワークショップ的な授業が必要なのかもしれない。

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ドラえもんの「独裁スイッチ」を思い出した。「くそ!消えてしまえ!」と思ってスイッチを押すと本当に消える、というもの。それでのび太くんは家族や友達、街、等、いろいろな人やものの有り難さを実感した。ドラえもんが言っていた。独裁者がわがままにならないために作られたスイッチだと。

確かにのび太くんは「人間愛の精神」に浸っていた。

 

よい教材、参考資料になりそう。(書店によく並んでいる千円くらいのドラえもんDVDに入っていましたよ。確かVol.1に。Vol.1は2~4より断然面白かったです。)

https://www.tv-asahi.co.jp/douga/doraemon/191