なぜ「読み物で心情追求」授業が一般的になったのか 豆知識
読み物教材を通して心情追求する一般的な授業スタイルに疑問を抱いていた私ですが、
最近、同僚の授業を見る機会が多く、中にはその良さを感じるものがいくつもありました。
「心情追求スタイル」に納得いかないのではなく、
①深まりや気付きのない授業に納得がいかないのだ、
②「心情追求スタイル」一辺倒であることに納得がいかないのだ、
と改めて気付いた次第であります。
それと共に、
私は、「心情追求スタイル」の真髄、基礎の基礎も大して分かっていないのだと感じました。
この際、基礎の基礎から勉強したい!
そう思っていたら、
以前買っていた「道徳教育 2016 9月号」の特集記事に
「『心情を追求するスタイル』の奥深さを考える」とあるのを発見。
明治図書オンラインでは電子図書なら今すぐ読めます。
その巻頭記事が興味深かったので紹介します。
道徳教育 2016年9月号/解説/「心情を追求する授業スタイル」とは 明確な指導観に基づく道徳授業の構想「心情を追求する授業」の是非
そもそもなぜ読み物教材の「心情追求」授業が一般的になったのか。
「道徳の時間」が設置されたのは昭和33年。戦後、それまでは、道徳教育は全教育活動を通じて行われたが、生活上の問題を取り上げて行うことが多く、価値に偏りがある等の問題があった。そこで、よく言われるように「補充・深化・統合」するために道徳の時間が設置された。(大学での講義を思い出しました!)
設置された当時は、これまでにない授業の実施に多くの教員が戸惑った。それを打破するために開発されたのが、
青木孝頼氏(文部省教科調査官・視学官 昭和33~60年)の
「青木理論」に基づく「道徳授業の基本過程」なのだそうだ。
①内容 区分け
【導入】ねらいとする価値への方向づけ
【展開前段】ねらいとする価値の中心教材による追求・把握(道徳的価値の自覚)
【展開後段】ねらいとする価値の一般化(前段で追求・把握し、深めた価値について、子ども自身の生活全体と結びつけ、道徳性を育成する段階)
【終末】ねらいとする価値の整理・まとめ
・・・ほお、青木氏の影響、すさまじい!!
もろに今、一般的だとされていますね。
②構成手順
展開前段 → 展開後段 → 導入・終末
③発問の種類
【中心発問】ねらいに迫るために特に欠かすことのできない発問
【基本発問】中心発問を支える発問、自分との関わりで道徳的価値を考えさせる発問
【補助発問】中心発問や基本発問を補うための発問
この辺りは当たり前といえば当たり前ですが…次です。これです。
基本過程を基盤とした研究として、
展開前段の教材の多様な生かし方の「道徳教材活用の4種類」、
展開後段の発問の在り方の「価値の一般化の発問類型」、
展開前段・後段さらには子どもの実態把握・評価・発言の分類整理の手がかり・子どもの自己評価スケールとして生かすことのできる
「価値観の4類型」などがある。
これは気になります!!!
この記事では「紙面の都合で割愛」となっており、参考文献が載っています。
・・・中古で4000円近くします。
・・・古書で、取り扱いがない状態です。
読みたい・・・
これも古いですね・・・
検索すると、ネット上でも片鱗が分かります。
http://www.kyoiku-kensyu.metro.tokyo.jp/09seika/reports/files/bulletin/h27/materials/h27_15_05.pdf
こちらのP94あたり。
また、こちらのP6あたりです。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/32042.pdf
氏の理論が基になってできたのが、このような一般的とされてきている授業理論なのでしょうね。
山梨県総合教育センター
http://www.ypec.ed.jp/syoukai/doutoku/2-3.pdf
青木氏の道徳はもちろんですが、特活理論についても知りたいです。
(こうやって読みたい本が増え、消化不良、育児放棄(!?)に向かって行く・・・)
とりあえず、これを買ってみます。
ご本人が書かれたこれも気になります。
・・・あ、書き忘れていました、
なぜ「読み物で心情追求」授業が一般的になったのかの続きです。
昭和43年、52年の改定では「児童の道徳的判断力を高め、道徳的心情を豊かにし、道徳的態度と実践意欲の向上を図るものとする」とされていたが、
平成元年の改定で、道徳的心情を豊かにすることを強調。(順番の入れ替え)
平成10年の改定では「道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度」を道徳教育の全体目標の部分に移動させた。
これにより、教育行政の指導も含め、教員がさらに道徳的心情を重視した授業を展開した、とある。
なるほど。そんな経緯もあるのですね。
・・・「心情理解のみの授業」でもなく、「心情を追求する授業」を全否定する訳でもない。
考えるに足る問いで、生き方を見つめる授業をしたい、
そして、苫野一徳氏の理念を実現する授業をしたい
shochandoeeeesu.hatenablog.com
と改めて思った次第です。