本市のキャリアアルバムにこの項目がありました。
「4、みんなのためにがんばること」
「先生、これがよく分からない」「難しい」と何人かが質問してきたので、
みんなで考えてみようやと投げかけたのです。
すると、真っ先に出た意見が、
「あいさつ」でした。
反応が今一歩だったので、「あいさつが『みんなのためになる』と思う人」と挙手を求めると、半数くらい。「いや、あいさつは『みんなのためになることではない』と思う人」では数名。「よくわからない人」では数名。
「どんなふうにみんなのためになるの?」と尋ねると、「例えば、おはようと言われたらうれしくなる。」「気持ちがよくなる。」と返ってきて、ほとんど子が賛成しました。
「めんどくさい」とつぶやく子がいましたが・・・めんどくさい時もあるんだね、と認める心の余裕がありました。(以前の私は少しムッとしていたと思います。)
そしてその子は「先生のためやん」ともつぶやいていたのです。
あいさつは先生にするものだと感じているのでしょう。
または、先生に注意されるからあいさつをしているのかもしれない。「どうしてそう思うのか教えて」等と聞いてみればよかったけど…流してしまいました。
「先生だけじゃなくて、地域の人も友達もうれしくなるよ」と他の子がつぶやいて、話し合いは次の意見へと進みました。
このようなちょっとした場面での対話が楽しくてたまりません。
授業のよさを感じた登校日でした。