17 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度
〔第1学年及び第2学年〕 我が国や郷土の文化と生活に親しみ,愛着をもつこと。
〔第3学年及び第4学年〕 我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,国や郷土を愛する心をもつこと。
〔第5学年及び第6学年〕 我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,国や郷土を愛する心をもつこと。
(中学校)
[郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度] 郷土の伝統と文化を大切にし,社会に尽くした先人や高齢者に尊敬の念を深め,地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し,進んで郷土の発展に努めること。
[我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度] 優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに,日本人としての自覚をもって国を愛し,国家及び社会の形成者として,その発展に努めること。
C 主として集団や社会との関わりに関すること
を見てみると、
12 規則の尊重
13 公正,公平,社会正義
14 勤労,公共の精神
ときて、
15 家族愛,家庭生活の充実
16 よりよい学校生活,集団生活の充実
17 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度
18 国際理解,国際親善
と続きます。「18 国際理解,国際親善」の項目に「愛」の文字はないけれど、「8 感謝」の中学校のところに「人間愛」とあるから、
結局、全部愛せよ、ということなのかなあ。
8 感謝
〔第1学年及び第2学年〕 家族など日頃世話になっている人々に感謝すること。
〔第3学年及び第4学年〕 家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に,尊敬と感謝の気持ちをもって接すること。
〔第5学年及び第6学年〕 日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し,それに応えること。
(中学校) [思いやり,感謝] 思いやりの心をもって人と接するとともに,家族などの支えや多くの人々の善意により日々の生活や現在の自分があることに感謝し,進んでそれに応え,人間愛の精神を深めること。
そもそも「愛する」ってどういうことだろう。
低学年では、「親しみ,愛着をもつ」とあり、
中・高学年では「大切にし」「愛する心をもつ」とあり、
中学校では「郷土の伝統と文化を大切にし,社会に尽くした先人や高齢者に尊敬の念を深め,地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し,進んで郷土の発展に努める」「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに,日本人としての自覚をもって国を愛し,国家及び社会の形成者として,その発展に努める」とある。
小学校の「愛する心をもつ」と、中学校の「愛する」というのにも差がある感じがする。
どう違うのだろう。
地域社会、国家の一員としての自覚をもって、発展に努めるところまでするのが「愛する」ということだと言いたいのかな。
では「愛する心をもつ」というのはどういう状態のことだろう。
「好きと思う」ということなのだろうか。
…少し違う気がする。そんなに単純なものではない気がする。
家族にしても、故郷にしても。
例えば、私の親の実家周辺。
すばらしい自然。冬の星空、霜が降りた草原、静かな朝と鳥の鳴き声、
夏の田んぼ、春の新緑、秋の紅葉と寂しさ。
あけびや梅もぎ、金柑、わらび、なつめ、栗、たけのこ。四季の味。
けれど、限界集落になりかけている。バスも電車もない。中学校もない。子育てするには躊躇する。
自然も、すばらしさもあるが、鳥獣被害で畑の作物を作るのは大変。
だから、好きかと言われれば、はいとは即答できない。
けれど、好きか、そうでないかでは表せないものがある。
大切にしたい思いはある。先祖が代々住んできた歴史、「重み」がある。
学校アンケートなどに「この地域が好きですか」という項目がある。
これまではそれを疑ってこなかった。「好き」という数字が増えればいいと思っていた。
けれど、本当にそれがよいのかと、ここにきて気付いた。
高学年、中学生にもなれば、遊ぶ場所が近くにたくさんあってほしいと思うだろう。
自分もそうだった。だから、田舎に対する評価は下がって当然だ。
学校が少ない。高校も少ない。進学校はない。大学もない。
だから、若者が出ていって当然。
いろいろな地域を知り、大人になって、「ああ、大人が『いい』と言っていたのはこういうことだったんだ」
「あの頃は当たり前で気付いてなかったけど・・・」とか、
「事情があって住めないけれど、大切にしたい場所」
「故郷に誇りをもっている」
と言えるような人が増えたらいいのかな。
いや、それもエゴなのかな。
ただただ、「懐かしいな」「たまには帰りたいな」「自分にとっては、特別な場所」と思う、それだけでもいいのかな。
わからなくなってきたので、一旦筆を置きます。
話は変わって、
先日あった研修の講師、温品賢二校長先生のお話の中で心に残ったことの1つ目は、
郷土愛を考える際に大切にしたいのは、
「好き」かどうか、「いいところがある」かどうかではなく、
「自分がどう関わったか」であるということ。
2つ目は、
「教師が自分自身の〇〇観を見つめ直す」ということ。
つまり、今回であれば、自分自身のふるさと観を見つめ直す。
実際、校長先生がご自身のふるさととそれとの関わりを熱く語られた。
私にとってのふるさとは を今この機会に考えてみる。
私は勤務校近辺で生まれ育った数少ない教職員の1人でもある。
かつて大嶺町にまだ産婦人科があったころ、そこで生まれた。
伊佐小も大嶺小も400人くらい児童がいた時代だ。
ブランコに砂場、鉄棒、滑り台、自転車練習、野球、サッカー、ドッジ、花火と、小さい頃から高学年まで、しょちゅう遊びにいった児童公園、伊佐川、まだ魚屋も肉屋も駄菓子屋もあった伊佐の町、スポ小で毎日使った小学校の校庭と体育館が私のホームだ。
夏の思い出といえば「十七夜」。昼間は子供会でお神輿をかつぐ。夜は親戚が集まって大賑わい。もらった小遣いで、薄い硬いお菓子を削るやつ(何というのかは不明)をやる。児童公園から打ち上げ花火を見るのが毎年恒例だった。
今の「まるき」は昔は「エポック」という商業施設で、できたてだった。私の叔父らが中心となって、いろいろな催しを開いていた。土曜夜市。子ども綱引き大会。
美祢駅前の「桜まつり」のカラオケ大会に友達と4人で出て、ミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。グループ名は「Ice Box」(笑)。当時発売されてヒットしていたから。うちに集まって、カセットテープかけて練習していた。懐かしい。
スポ小で練習したり試合をしたりした勤務校の校庭や体育館。古びたけれど、変わらない。体育館2階で大嶺の友達と話したことまで覚えている。
スイミングもわざわざ1時間かけて小野田まで行っていた。今思えば不便だった。けれど、そのバスの中が楽しかった。その友達の子どもや姪っ子甥っ子さんたちが、勤務校に今まさに通って来ている。そっくりだ。
高校は美祢の外を見たくて、長門に行った。向津具の海で素潜りでウニをとってその場で食べた夏。友達のお父さんが作ってくれたパエリア。お祖母様の芸。毎日乗った美祢線。MDウォークマン。自転車で坂道を下りながら歌った、ゆずの「夏色」。海を見ながら口ずさんだスピッツの「渚」。仙崎の花火大会。漁港の匂い。部活、生徒会、文化祭、藤光とタッグを組んで行った100メートルのちくわ作り。懐かしい。
長門は第2の故郷。
大学は、山口の外に行きたくて、広島へ。語り尽くせぬ思い出。仲間。
広島は第3の故郷。
初任地は周南。11年いた。当時は一生住み続けたいと思っていた。店も、新幹線も高速もあって便利だし、少し行けば山も海も川もあった。フットサルチームもリーグもあったし、教員仲間も知り合いもたくさんできた。自分の車で走り回った地。語り尽くせない思い入れがある。特に5年勤務した鹿野小。作った「潮音洞」の歌は今でも音楽祭で毎年歌っているとか。
周南は第4の故郷。
そして6年前に実家のある第1の故郷に帰ってきた。
旧美祢市と旧美祢郡が統合する前には、旧美祢郡は美祢というより山口市という感覚だった。実際に、幼少期はあまり行ったことがなかった。だから、私にとっては、秋吉や美東は「故郷」という感じではない。
私にとって第1の故郷は、「伊佐」「大嶺」+祖父母宅周辺という感覚であり、同郷の仲間といえば「旧美祢市人」だ。
もちろん、今、そのような区別はしたくない。けれど、私が育った、育ててくれたのは「旧美祢市」という感覚があるということだ。
そして、一去年だろうか、大嶺小出身者で、私の同級生らが、「I AM MINE」という団体を作り、地域を盛り上げる活動を始めた。去年の夏、勤務校の玄関で、秋山さんにばったり会い、「〇〇さんですよね。秋山です。」と言われた。当時の面影が残っているそのお顔でピンときた。「明日、曲づくりするので来てくださいね」とのこと。
行ってみると、同級生の懐かしい顔がたくさん。隣の小学校だったとはいえ、結構分かるのが田舎。
暑い体育館で、ミュージシャンと共に、「ふるさととは?」のワークショップ。子どもたちが大判用紙に書き出す。昼からは、プロが整えた歌詞と、プロが作ったメロディーに合わせ、音楽室でレコーディング。私も娘と参加。
10月、さくら公園で野外フェス開催。CDになって手元に届いた。11月には、学校の特技発表会でそれを歌う児童もいた。
今は市街に住んでいる人もたくさんだが、それでも故郷で何かしたいという熱い思いを目の当たりにした。
家庭の事情で市外に引っ越した私だが、できれば故郷の教育に関わって働きたいという思いがある。
これが私の故郷への思いの一つだ。
こう見てみると、私にとって故郷、ふるさととは、やはり特別なもの、かけがえのないものだ。第2,3,4の故郷もだが、やはり第1の故郷は格別だ。だれにとってもそうだろう。
なぜ格別なのだろう。
「住んでいた場所」、特に、「小さい頃に育った場所」だから。
「小さい頃」というのは格別なのだろう。人生のうちのたった十数年。
けれど、あの頃は、今に比べれば時が何倍も長く緩やかに過ぎていた。
その毎日を、繰り返す当たり前の毎日を生きたのが、故郷。
まだ他地域に住んだことがなく他と比べられず、そこしか知らない。まさに「当たり前」の毎日。
そしてまだ無垢だった幼少時代に過ごした場所だから、どこか神聖なもの、特別なものに感じるのだろうか。
なぜ「懐かしい」と感じるのだろうか。懐かしいって何だろう。
第2、3の故郷に比べてそれ以前のことだから、懐かしいと感じるのだろうか。
普段そうそう思い出さないことの方が懐かしく感じるのだろうか。
いい思い出は「懐かしい」というけれど、悪い思い出はそうとは言いにくい節があるのは私だけだろうか。
・・・「ふるさとあるある」。
同郷だという人に会うと、それだけで親近感がわく。それだけで好きになるかもしれない。
ニュースで故郷の名前が出ると、とっさに見る。気になる。
ほっておけない。第2、3、4の故郷についても。応援したくなる。
たまには帰りたくなる。そんな歌がありますね。(いきものがかり)
そして、「住めば都」とはよく言ったものだと思う。
結局、住んできたところは、どこにも思い入れがある。
切っても切れぬ、腐れ縁とでも言おうか。
「縁」。
結論は出ないけれど、前よりは「郷土愛」について自分なりに見つめられました。