でました、【感動、畏敬の念】です。
低学年のこの内容項目は「美しいものに触れ、すがすがしい心をもつこと。」
中学年は「美しいものや気高いものに感動する心をもつこと。」
高学年は、「美しいものや気高いものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつこと。」
・・・以前は、超絶難しい内容項目と感じていました。しかし、昨年度と今年度初めに、校内研修で、本校の先輩や、講師の温品先生の授業を見せていただいたり、講話を聞いたりして、そこまで身構える必要はないのだと感じました。そして今では、(よい授業はできないですが、)以前よりはアレルギーなく授業に臨めました。
「美しいものって、いいな!」「心がすっとするな、じーんとするな、心が釘付けになるな」「身の回りにあるんだな」「もっと見つけたいな」こんなふうに児童が「感じる」ことができる時間にすればいいのだなと思います。
今回は今年度初めての参観日ということで、全員発表を、普段もめざしているけれど、いつも以上に意識しました。
そして、「美しい」ということがピンとこない児童も多くいると思われることから、導入にあえて時間をさきました。
発問は大きく3つで、下のワークシートのとおりです。
「美しいって、どんなこと?」では、3分の1以上が「よくわからない」と挙手していました。
1は、普段は書かせることまでしないけれど、挙手しない子のも見取って意図的に指名したり関連付けを価値付けたりするために書かせてから発表し合いました。
その後、「教師が『美しい』と思うもの」を画像でプロジェクター投影しました。
地元秋吉台の星空から始まり、焼野の夕焼け、元乃隅稲成神社、角島、弁天池、コスモスの花びらが透けているもの、
そして、体操選手の技、少林寺拳法の演武、機械時計の中身、クリムトの絵(母と子の抱き合う姿)
児童の輝く瞳も出したかったのですが、写真が用意できませんでした。。。
グルーピングすればよかったです。
2の中で、「やさしい気もち」と言った児童がいたので、そこから「だれの」「どんな気もち」をみんなで話し合いました。
母と娘のやりとりの場面と、娘と旅人のやりとりの場面とを、役割演技で行い、
その後、役者と、聴衆とに、どんなことを思ったかを尋ねました。
「自分も喉が乾いていたけれど、旅人の方が死にそうに見えたから、ゆずった」「お年寄りだから」「(聴衆で)見ていて嬉しかった」などの声が挙がりました。
「すごいな」「難しそうだな」の声は挙がりませんでした。
(自作の紙のひしゃくが活躍!あえて白にしてよかった。)
「自分も喉がかわいて死にそうなのに、知らない旅人に水をあげられる?」と自我関与を促し、挙手をしました。(自分ならどうする発問は、建前で答えるのであまりよくないと言いますが、この日は端的に、時短で行いたかったので、そうしました。)
「できる」「できない」「迷う、分からない」が3分の1ずつくらいでした。
そして、「難しいよね!」「できなくてもだれも文句は言わないし、許してもらえると思うよ」という話をし、
「だから、こういうやさしい気もちになるのは、あきらめる?」と尋ねました。
「いや、あきらめたくない」をいう声が挙がり、
ここを「くくりどころ」にしました。
「難しい、けれど、あきらめたくない、こうなりたいな」=美しい心
(難しい場合もある、けどあこがれ。だから「美しい」のだというような意味)
3は、( )の中に何が入るか確認した後、(心)
「自分の中にもあるよ」「ちょっとしたやさしさや頑張りでも美しいよ」、と、島恒夫先生の「プラス思考の」振り返りを使いました。
参観日ということで、「思いつかない場合は、おうちの人にも聞いておいで」と言いました。
「トイレの順番を譲った」「ダンスを恥ずかしくても一生懸命踊った」「しせい」などが挙がりました。
#道徳 「七つのほし」で、ある子が授業後、給食を食べながら(私が「しゃべってはいけないよ」と注意する合間に)
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年10月30日
「美しいもの、見つけた。『運動会で悔しくて泣く涙』」
とつぶやいた。
すてきな感性!その感性が美しい!
「うつくしいものを美しいと思える あなたのこころがうつくしい」
この言葉も、いつか届け、みんなで味わいたいものです。
こちらのサイトも参考になりました。
自分の「美しい」観を見つめ直す良い機会になりました。
追記
挿絵が小さかったのも反省です。特に星。データはいつもの半分くらいの大きさでした。