多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

気が合う人、教育について語り合おうぞ!学習ソングも作曲中。

「宿題サークル」はいかがかしら

 

news.yahoo.co.jp

 

こちらの記事を通して、いろいろと考えさせられました。

 

まずは宿題についてですね。

宿題の目的、効果、そして対費用効果を今一度見つめ直すべきと感じました。

 

そもそも宿題の目的ってなんなのでしょうね。

よく「①学力の定着(授業の復習)」と「②家庭学習の習慣づけ」の2つを言われますが、

 

①なら学校ですればよいのでは?と思う人もたくさんいるでしょう。私もそう思わなくはないです。

 

まず1つには、

漢字ならまだしも、算数は苦手な子は家ではがんばっても解けない。分からない。答えを見ても分からない。答えを写すだけになる。(証明問題など、答えを写しながらその方法に慣れる場合には写すだけでも効果があると思うけれど…)

 

2つ目には、

勉強がそんなに好きではない子どもたちの大半は、「なぜ家でまで勉強を?」と思っているはずです。

「自分の時間を好きなように使う権利がある!」と思っている子も。

「余暇をどう過ごすかこそ生きる力」と考える親もいるわけです。

昔と比べると平日の授業数も増え、習い事も増え、平均して子どもは忙しい。

「うちの子は理解力があるのでもう少しレベルの高い学習をさせたい」「受験のための勉強をさせたい」「塾や習い事を優先させたいから、この曜日は宿題はなしにしたい」等のニーズも増えてきているでしょう。

 

 

だから、私の理想は、(あくまで理想)

1、宿題のあり方を児童や保護者と一緒に考え、決めることです。

ニーズ調査をして、できるだけ個別最適化する。

 

宿題を課してもらいたくない家庭には、それで受ける不利益を一切学校側に申し立てない約束をしてもらって、宿題を課さない。

 

宿題を出してもらいたい家庭には、出す。

提出が滞る場合は、連絡のみするか、昼休みを潰してでも学校でさせるか選んでもらう。

 

2、宿題はできるだけ「先生が課すもの」のようにせず、「サークル」的なものにする。

グループに1つ「答えの冊子(またはプリントの答え)」を渡しておいて(教室に「答え冊子」置き場をつくる)、朝、自分たちで答え合わせをする。教え合う。

一応先生が出すけれど、グループで、

「漢字などは反復しないと身につかないから、自分たちで励まし合ってがんばろうよ!」

「計算も、自分だけで復習するのは辛いから、みんなで励まし合ってやろうよ!やってこようよ!」

「分からないところは朝、教え合いの時間に教え合おうよ!」「学校来てからやるのは無しね。それでは自分のためにならない。」

「意味調べも日記も、一人でできるものだから、家でやってこよう。月曜は日記を見せ合おうよ。」という感じで。

だから、自分たちでチェックして、自分たちで励まし合う。

(できれば、漢字は年間進度表を作って渡しておく。)

 

 

・・・いかがでしょうか。

現実的には難しい面が多々あるとは思いますけれど。

やってみたいです。

 

 

 さて、風越学園創設に携わっておられる「あすこま」さんのこちらの記事です。

askoma.info

 

「教育の効果」の本は私も持っているのですが、読みこなせていませんでした。。。

 

多くの教師は宿題に期待しすぎている。そう思います。

時間管理能力の向上を示すエビデンスは、ない。けれど、どこかそれも期待していた私。

 

・・・改めて考えてみて、 

学校でではなく宿題にするべきものとは一体何なのでしょうね?

宿題にして費用対効果が高いものとは何なのでしょうね。

 

1つは学校でだけでは反復練習が足りずに定着しにくい学習内容でしょうか。

計算、漢字…

しかもそれを宿題頼みにしない。

前回記事の

shochandoeeeesu.hatenablog.com

「英単語を1日に5回見る」が最も効果的という理論を基に考えるなら、

「学校で4回、家で1回」のつもりで、あくまで学校で鍛える。

 

別の1つは一人でもでき、誰でもできることで、学校でするには時間がかりすぎることでしょうか。

意味調べ、日記…

 

自主勉強、自学ノートづくりはあくまでできる子がプラスアルファで。

 

ノートまとめは授業である程度やってから。

 

その程度のスタンスにして、

休み時間、放課後の宿題に使う教師の労力を別のことに回す。

 

来年度、私は、そうしてみたいと思います。

反復学習の効果のエビデンス(証拠)を児童に示したいが・・・マイクロステップスタディ

多くの子どもにとって「めんどうくさい」と感じる反復学習がどれだけの効果を持つかを、客観的データで説明すれば、

授業や宿題、自主学習のモチベーションが上がるし、

教師もそれを生かして効率的に児童の学力を上げることができる。

そう思って、

以前からそれに役立つ資料を探しています。

 

そしてこの度、教育新聞でこの記事を見つけました。(月額制です。)

www.kyobun.co.jp

岡山大学の寺澤孝文教授によれば、「学習したことを1カ月空けてテストすれば、その内容が定着しているかどうかを正確に測定できる」と話していて、8カ月後のテスト結果では、英単語1単語を1日に5回以上見ても効果に違いはないこと、「覚えよう」と意識するのではなく、2秒程度見流すくらいで、十分に学力が付くことが分かったということで、グラフが提示してある。

…1日に5回以上見ても意味がないかもしれないが、1日に1回しか見ないよりは断然2~5回見るほうが効果的ということ。

これは、学校で数回見て、家でも1~2回見るのが効果的ということを示す資料になる。

 

「それなら学校で5回見ればいいのでは?」と児童から言われそうだ。

それにはどう答えるか。

1つには、実際にそこまでの時間を暗記学習には使えない。

また2つ目としては、しばらく時間を空けて学習した方が効果的で、そのためには、5回学校で見るより、家庭に帰ってから見たほうがよいということになる。

 

しかし「同じ1日のうちでも時間をどのくらい空けて学習するとよいか」を示す資料は今回の記事には載っていない。また、「●日後に復習した場合、しない場合」「●日後と●日後に復習した場合」を示した資料もほしい。

そのうち載るかな?

 

(・・・こうやって、先々月に無料購読期間を申し込んだ後、無料期間が終わっても購読をやめられない。「教育新聞」の策略にまんまとハマっている私(笑))

 

★★追記★★

これについて友達と話していると、

「5回見た、と、6回見た、の差を調べるのは難しそう」という話に。

確かにそうだ。

だいたい、具体的にはどのような方法で学習しているのか。1日にいくつの英単語を見るのか。同じ単語を毎日見るのか、間をとるのか。

だいたい、1ヶ月後に比べて、本当に2、3ヶ月後の記録がそんなに伸びるのか。忘れないの?やはり毎日見るの?!どのように?!

 

・・・ということで、ネットで調べてみると、ありました!

micro-step.jimdofree.com

YouTubeのチャンネルもありました。

www.youtube.com

www.youtube.com

 なるほどです。eラーニング炸裂です。

5日に1回、確認テストを行うのですね!

 

そして、いろいろ納得です。

個別最適化学習といっても、「正確な能力の測定・把握」ができなければ、それに合った問題等の提供ができないということ。

 

また、一夜漬けが効くテストや、実力テストのような定点での学力ではなく、本当の定着度を長いスパンで見るよさ。

 

絶対評価、個人内評価で、自身の伸びに着目する。そして必ず伸びる。「やればできる!」という実感が得られ、学習意欲が向上するというよさ。

 

これは暗記学習を推奨するものではなく、暗記学習を効果的効率的にeラーニングで進めることで、教師(そして児童生徒が)他の大切なことの学習に心血を注ぐことができるようにするものであること。

 

提携先を募集しているとのことなので、

児童の意欲向上、学力向上を本気で考えるなら、

この際、本校、本市も、提携を考えてみてはどうか。と

私は思います。

 

反復学習の効果について書き始めましたが、

結局は、学校教育の在り方、「個別最適化」という

ここ数年の私の関心事と根幹を同じくするものでした。

児童生徒一人ひとりを大切にした教育、人間らしい学校教育でありたい。(そうでないと学校はもたない。)自己肯定感が高まる教育。

目の前の子どもたちにも、我が子にも、そういう教育をしたい。

やはり、従来の「同じ内容、同じ進度、テスト、点数比較」から少しでも脱却したい。

そう改めて思いました。

 

 

・・・本校では、市独自の漢字検定への取り組み方について先日職員会で議論になりましたが、「自分もやればできる!」という自信をつけさせるねらいなら、また、実力をつけるなら、

検定云々、事前に同じ問題を配布するかしないか云々よりも、

日頃の学習の在り方を再検討すべきです。

 

冬休みに検定に出る漢字ばかりやって1月に検定に合格するけどその後ほどなく忘れてしまう子が続出しないでしょうか。

または、冬休みに練習するけど一気に頭に入るわけがなく、結局合格できない子もいます。

ここにeラーニングが入れば、かなり解決できるわけです。

とはいえすぐには導入されないので、

アナログでできる限りのことをしたい!

 

この反復の効果を子どもたちに知らせた上で、アナログで、努力し甲斐があるシステム、自走システムに更に磨きをかけたい。

 

 

wadaobachan.hatenadiary.com

 

追記2019/12/01

宿題について考えるのに参考になりました!

https://askoma.info/2019/08/27/7537

askoma.info

 

働き方改革の難しさの具体

職員会で2つのことについて長く熱い協議がありました。

 

1つは、「新春書き初め展」です。

以前は体育館で条幅に書いてそれを掲示していたそうですが、山の寒い学校で極寒の中でそれを行うことへの疑問から、冬休みの宿題にしてそれを1月に掲示してきました。が、30人の条幅を教室内に掲示することはできず、廊下に貼ります。すると、風で破れるのです。

そこで、今年度は、「小型の条幅にする」「掲示の期間を短くする」ということが提案者からでました。

私はこれに概ね賛成でした。しかし、そもそも家庭で書いてきたものを掲示する(しかもみな同じ字です)ことに疑問があり、意見を出しました。授業で、教室で、条幅でなくても半紙でもいいから、無理なく行って、それを普段と同じように貼ればよいのでは。それなら廊下でなく教室内に掲示できるし、もし廊下に掲示しても破れない。

冬休み前に大きな条幅を3枚ずつ配布したり、それを回収したりする手間もなく、子どもも冬休みの宿題が減って、Win-Winだ、それでいて学校でしっかり書き初めという文化に触れられるし、公平にみんなが授業で書いたものを見合うこともできる。宿題には、読書や体力づくりと同じように「自主勉」として出せば、練習したい子は練習してくるしそれが認められるわけです。

…ただ、ここまでは整理して伝えられず、書き初め展そのものの開催の疑問だけ伝えるにとどまりました。

 

しかし、「体育館で書かせたい」「宿題からなくすのはどうか」「実際に教室で条幅を書くことはできるのか。不可能ではないが難しい/可能」等、教師が10人いれば10人の書写や書初めに対する思いがあるわけです。今回それを改めて思い知りました。

おそらく、昔ならば、学年任せだったのでしょう。しかし昨今はそうもいきません。

 

6年が半紙なのに下級生が条幅というもの、全校で見た時に違和感がある。(けれどその6年生が一番人数が多く掲示面や書くスペースの問題で難しさがある。。。)やはり全校で統一したり調整したりする必要があるのです。

 

不満はすぐにSNSで広がりますし、直接学校にも届けられます。何より、よりよい教育を行いたい、去年までの問題点を改善して行いたいという思いはどの教員にもあります。

 

だからこそ、協議で納得解を出し、本校の方針を定める。

しかし、それがなかなかに難しい。

 

その要因の1つは、メンバーが毎年3分の1ずつ変わる集団だということです。

だから方針が変わりやすいのです。だから毎年その年のメンバーでの納得解を出すのに協議が必要になるのです。

 

県教委との交渉で感じた「働き方改革は各校こそ行うべし」ということを実践しようと、

「目的を確認し、それに合った教育活動を」と、「目的に合わないものに使う教師の労力を減らす」という2点で、今回、職員会で意見を出しましたが、

 

上に書いたように、「各校教員のメンバー3分の1が毎年変わる」ということ(もちろん良さもありますし、どうしようもない制度なのですが、)そのことの大きさを改めて感じた1日でした。

 

最後になりますが、協議には確かに時間がかかりましたが、忌憚なく意見を述べ、建設的な議論ができる今の本校の同僚には感謝しています!有り難いことです!

(私が一番感情的で建設的な意見が言えていなかったと反省しています。。。新たな課題ができました。精進します。)

 

さらにスムーズに議論が進みかつ深まるように、何かできないかな・・・と考えています。

スクールポリス・スクールロイヤーを通して考えた

 

自分が意見した中の1つは、県や国が言う、例えば「勤務時間外の留守番電話設置」「登下校に関することを教員の業務ではないとすること」が、実質不可能であること(特に生徒指導の面で)でした。

 

改めて、生徒指導面での丁寧な対応が増々重要になっていること、それが勤務時間の増加につながっているのだと気づきました。

また、いくら「21世紀型能力の育成」「学力向上」「働き方改革」といっても、生徒指導上の問題が多発している学校やクラスではそれどころではないのだという思いは、どなたの心にもあると思います。

 

そんな折、たまたまこのツイートが目に止まりました。

(この本は私も持っています!)

 

ここで、「生徒・親」「教師」よりも「政治の責任」と出てきて、私はこれまでそんなことは考えたこともなかったので、早速「スクールポリス」について調べてみました。

 

なるほど!スクールポリスか!

大人だって、法や世間体が抑止力になっているのだ。これはアリだ!

 

・・・と思ったのですが、賛否両論です。

まあ、少し考えてみれば分かることですね、、、

 

blogs.yahoo.co.jp

(こちらはヤフーブログなので今年の末には見られなくなってしまうと思いますが…)

賛成意見

教師の中にも、スクール・ポリスの存在を歓迎する声は意外に多い。

 

昔の学校とは違って、ふてぶてしく、やりたい放題の子どもばかり。
親にも子どもがコントロールできない。授業中だって学ぶ気はなく妨害したいだけ。
そういう子どもの管理にエネルギーを使わせられて教えることに集中できないから
教えることに集中できるようにポリスがいる。

 

いかつい生徒が反抗的な態度で迫ってきたら教師だって身の危険を感じる。
実際、教室で撃たれて死んだ教師もいる。
身の心配をせずに教師が授業に集中できるにもポリスは必要。

反対意見

約30%はドラッグまたは飲酒がらみのチケットだというが
「武器の使用」理由が20%というスクール・ディストリクトもある。
その多くで「武器」とは「げんこつ」の意。

 

それに何より、一度逮捕されると、「問題児」として目をつけられ、
その影響から、昔なら教師が叱ったり親に電話すれば終わっていた程度のことが
将来監獄で過ごす人生へと子どもを方向づけてしまうこともある。

 また、発達障害を持つ子が補導され、刑務所を出るには更生プログラムを経なければならないが、障害のために不可能な内容であるということもあるらしい。

 

それに加え、警察の誤認による問題もある。

 

こちらの記事では高校でのギャングの暴走が描かれている。

このような環境であれば、治安維持のために警察も必要だと思う。

14歳以上は刑法も適用される年齢ですから。

www.manabinoba.com

 

こちらは賛成記事ですね。日本の高校生の問題例もでています。

proud-of-japan.blog.jp

 

そして、これを見つけた。一般社団法人、その名も「スクールポリス」です。

私立学校を中心にご活躍のようですね!

学校の風評被害防止など、警備以外の業務もあり、確かに需要がありそうです。

www.school-police.org

 

ここまできて、「そういえば、『スクールロイヤー』なら文科省も推進しているやん!」と気付いた私。

ja.wikipedia.org

この方は問題提起をされています。

gendai.ismedia.jp

法律の専門家である弁護士が、その専門知識・経験に基づき、①法的側面からのいじめの予防教育、②学校における法的相談への対応、③法令に基づく対応の実施状況の検証、をおこなう文科省平成30年度概算要求書より)。

 

文部科学省は、犯罪に該当するいじめ行為を早期に警察に通報する方針を掲げている。

2013年5月の通達は、「冷やかし、からかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言う」という行為は警察へ通報するべき脅迫罪や名誉棄損罪に該当すると例示している。

すると、冷やかし行為があった場合、スクールロイヤーは「警察へ通報するべき」と判断するべきことになる。しかし、これは教育的な解決とは程遠い。教師が生徒に向き合って積み重ねてきたことが、警察への通報によって崩れてしまう。

教師や学校への正当な不満が背景にあって、問題行動が生じていることもある。問題行動の原因を除去する努力が積み重ねられていたかも知れない。そうした事情を切り捨て、ただ生徒一人を悪者にして警察へ通報することは教育の場に相応しくない。

警察に通報されると、生徒は被疑者として扱われ、犯罪捜査として取り調べがおこなわれる。刑事政策的に処遇を決定する裁判手続が進むと、学校側が生徒に対して教育的に接する機会は失われてしまう。

そんな扱いを受けた生徒にとって、学校は再び戻って来れる場所、戻りたい場所になるだろうか。

このように、スクールロイヤーによって教育的配慮のない法律判断が下される危険性は否定できない。 

…これについては、程度によると思います。

加害者側にとって学校が戻れる場所、戻りたい場所にならないことがやむを得ないほど、心身の危機にさらされている被害者もいるわけですから。

これまであまりに学校の治外法権が強かった反省でしょう。

ウィキペディア記載、 日本弁護士連合会の意見書にもあるように、裁判になってから関わるのではなく、「トラブルの未然防止」でこそ真価が発揮されるものだと思います。

 

感想

 

・スクールポリスもスクールロイヤーも、安易に使うべきではない。けれどどこからが「安易でない」のか線引が難しい。

・子どもにも大人にも「法の知見」を与え、未然防止に役立てる必要は現場で非常に感じる。

教員がまず勉強することも大切であるし、

警察やスクールロイヤーなどの第三者が、「法」について語る機会を、積極的に取り入れてよいと思う。

その際に「こども六法」は大いに参考になる。

 

こども六法

こども六法

 

 

 

 

そして・・・いじめにしても、対教師暴力や問題行動にしても、

結局は、学校の閉鎖的な集団環境をそうでないものにしていく必要が根本的にある、という考えに舞い戻った次第だ。

 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

 

 

「学校」をつくり直す (河出新書)

「学校」をつくり直す (河出新書)

 

 

公立学校内にいてこの改革を進めることはどこまでできるだろう・・・何年何十年かかるだろう・・・

杉並区、風越学園 等々、前例となって示してほしい!期待しています!

 

畿央大学 島恒生氏「プラス思考」の道徳授業+普段の指導

昨日、校内研修で夏休みの諸々の復伝があり、

その中で、表題にある 島恒生氏の講義資料がとても心に残りました。

検索すると、ネット上に、その概要記事がありましたので、紹介します。

edupedia.jp

 

www.nits.go.jp

これまで自分が考えてきたこと、最近自分が学んできたことと重なる部分が多いのですが、ここまで平易にコンパクトに、そして具体例を交えて言語化されていることに感服です。

 

そして、「喋りすぎない」等改めて自分が授業で実現できていないことを確認することができました。

 

心に残ったのは、

「ブランコ乗りとピエロ」「雨のバスていりゅう所」を通して考える、「氷山モデル」を用いた発問づくりの解説や、板書例。

そして、具体的なねらいのもち方、書き方。

 

そして、新たな発想として目を引いたのは、

「プラス思考」

下の記事でいえばこちら。

これまでは、教師がひたすらしゃべる伝達型の授業に陥りがちでした。その原因のひとつが、マイナス志向の発想です。子どもたちには豊かな心が欠けているから教えよう、身に付けさせようという指導です。学校の道徳教育重点目標も、足りないから、欠けているからの発想で設定していませんか。これでは当然、伝達型になります。
プラス志向の発想に変えましょう。子どもたちが、自分の心の中にある豊かな心を自覚できるようにするのです。…

 「今あるものに気づかせる」授業。

その例を先日後輩の授業(しかもルーキーさんの!)で見たばかりだったので、具体的にイメージすることもできました。

 

こんな授業、自分も創りたいです。

 

そして、

「今あるものに気づかせる」

これを、普段の生活、生徒指導、学級・学校経営でも大切にしていきたいです。

それが一方的で心に響かない指導からの脱却の鍵になると思います。

 

それは、氏の言葉「子どもたちに手柄を!」にも繋がりますよね。

 

 

学習発表会の指導とも重ね合わせながら考えた研修会でした。

物語か、実話か 子どもの目線で道徳科

先日、「銀のしょく台」の授業を拝見した際、

最後にある児童が「これ、実話?」とつぶやいた。

 

なるほど、そこは気になるところなのだ。

実話だったら説得力があるのだ。

つくり話だったらそこまでではないということだ。

 

「青の洞門」は、禅海の実話と、小説家菊池寛が創作した了海の話がある。

「銀のしょく台」は創作。

 

実話教材か創作教材か、この差は子どもの目線で見ると思っていた以上に大きいのかもしれない。

 

では、「銀のしょく台」に似た実話を基に授業をするとどうなるだろう。

こちらのサイトの、下の方に、実話と思われる話が載っていたので紹介する。

 

seishonyumon.com

 

 うむ、これを紹介して、発問をどう組み立てるか。

内側発問→外側発問

うーむ

ほとんどヴィクトリアさんの会話文で主張だし、ライアンくんの描写がないしなあ

それを補おうとすると、創作になる。

 

結局、「銀の燭台」の授業の終末に紹介する方がいいのかな。

 

 

教科書教材を批判的な目で見るけど、結局はよくできているんだな。

万人がそれなりの授業の質で授業できるようにできているんだな。

道徳科を学び直す 坂本哲彦氏の著書 神本!

 

「分けて比べる」道徳科授業

「分けて比べる」道徳科授業

 

 持っています。そして、読んだはずなのに…

改めて読んでみた今、感動すら覚えます。

 

明快! 「分けて比べる」つまり比較分類することで、①深まる ②整理できる。

目標と内容、

教材、発問、学習過程、

多様な指導方法、

評価 等について、掘り下げられています。理解が深まりました!!

具体を交えながらなので理解しやすいのも特徴です。

 

おそらく、現場の教師で、私のように大学で不勉強だった人や、教師になっても不勉強だった人は、人物の気持ちを問う以外の学習課題や発問のパターン、問い返し、振り返りの仕方のパターンをあまり知らない、または整理できていないんだと思います。

この本はそのどちらもを1冊で補えるものだと思いました。

 

山口が生んだ道徳教育正統派フロンティア、坂本氏の真髄が収まった一冊。

他の著書も持っていますが、これはかなり読み応えがあります。

今の私にピッタリの 一冊でした。

早く読み直しておけばよかった。。。

 

個人的に特に参考になった部分を紹介します。

 

P31

目標・内容項目を分析すると、

①知的:分かって行動すること=行動する価値が比較的論理的、知的に導かれるもの

②情的:感じて行動すること=価値が理屈抜きに感じ取られるもの

(例えば「生命尊重」は一見理屈抜きで重要と思われそうなものも、知的な理解を踏まえることが前提ということ)

③④は本書をご覧あれ

 

 

P36 ねらいの焦点化とその具体 。 上記のことと関連して、

例えば、「親切、思いやり」で指導する「はしの上のおおかみ」は、

・温かい心という「心情」のほうに重点を置くのか、

・親切にするという「行動」のほうに重点を置くのか。

もちろん0か100かではないが。

この意識が教師に足りなかったのでは。

 

 

P43 2つの学習内容とその具体例

学習内容1:道徳諸価値の理解  ア イ ウ エ

学習内容2:自分理解、生き方  ア イ ウ

・・・分類整理するとこうなるのか。

この視点をもって授業を組み立てたり、他の方の指導案を見たりするとスッキリ。

協議の時にも役立ちそう。「今回は 1のアだけど、イだとどうなるかな」等。

 

そして1・2に対応した発問はP63~とP67~に載っています。

1に対応

①【内側発問】  P85にも利点と課題、提案の記載あり。

  ・登場人物になりきって考える

     ・その時の気持ちや考えを想像する(心情)

     ・行動の理由やその後とり得る行動を考える(行動)

  ・投影的な発問(なりきるのではなく、少し意識的に自分を関わらせて考える)

 

② 【外側発問】 人物から距離を置いて、自分ごととして判断することを中心とする。氏の主張もこれが多い。1【内側発問】から少しずつ離しながら一般化しつつ考えさせることが重要。

 ア~コ これを「はしの上のおおかみ」の発問で例示してあるのがいい!

イ(好きか嫌いか) カ(条件変更。もし~なら) ク(不足を問う) 等 幅広い。これが全部頭の中に入って自在に操れたら強い。

 

③ 人物や教材を離れて、道徳的価値について考えさせる発問

サ~セ   サ(おおかみが学んだものは何か) 

ス(本当の親切とはどんなことか、親切に必要なことは何か、等)

 ←これは「哲学対話」「本質看取」と重なるなあ!!!!!

 

2に対応  ソ~ツ

例えば タ 自分のよいところ、伸びようとしているところを問う 等

 

※基本的には【内側】から【外側】へ。いきなり【外側】だと人物批判になりがち。

・・・確かにそうです。以前した授業で、後半の時間を確保したいがためにいきなり【外側】をし、もろに人物批判的になりました。

 

※ ↓↓そしてここが最近の私の関心事!!

P69  問い返しで再度判断を迫る。

上記の発問で意見をいくつかに分けてまとめた後、

「どれが一番よいか」「どれが一番好きか」「どれなら実現できそうか」などと問い返す。

極論すれば、最初の発問で子どもから出された内容は、授業前から既に子どもの中にあった考えにしか過ぎず、それらを出し合った後、「分けて比べる」ことから、本当(本時)の学習が進む、とさえ言うことができます。

万能、切り札は下の2つ。なるほどです!

テ 納得度を問う発問(あなたはどの考えに最も納得できますか)

ト 共通点を問う発問(どの考えにも共通している考えは何でしょうか)

 そうです、この辺りの記述に以前納得して赤線もたくさん引いている。その断片が頭の中に残っていて、これこそ私が実現したいことだと思い、思いながらもいつも時間不足でできていない。

また、しようと思っていてもうまく問い返せず、吟味させられず、、、

今後はまずこの2つの、特に(テ)からいってみよう!しかもこれは道徳科に限ったものではないですね。(割とよくやっているような・・・) 再度意識です!

まさに「学びて時に之を習う。亦説ばしからずや」です。

 

 

P90にも、自我関与の話題の中で、

「どれが一番自分に近いか」「どれが一番よくわかるか」

という問いも載っていました。自分と比べる。自分の納得度を問う。

これもいつでも出てくるように、頭の引き出しに入れておきたいです。

 

 

P77  終末  思考の「見える化」 も大いに参考にしたいです。

 

 

そして

P92~ 「問題解決的な学習」 こちらも私の関心事!!!

道徳的問題、「価値課題」「教材課題」・・・

私は「価値課題」(主題的、価値的な問い)で問題解決的な学習をもっと取り入れたいと考えていたのだな・・・

そして、「哲学対話」ともつながる部分です!

さらに、

P96

「学習課題を達成した後に、新たな道徳的な問題、学習課題が現れることがあるかもしれないのが、問題解決的な学習の特徴と言えるかもしれません。」

これも私の理想です。以前私が書いたこと、言いたかったこと(↓)は、氏の言葉で整理できるんだなあ。「はみ出す追求」です。

こんな提案したかった。6年「節度・節制」授業を終えて - 多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

 

 

 最後に。

P200。

「銀の燭台」の授業例が載っています。

それが、以前氏のHPで見た指導計画と、かなり違うのです。

sakamoto.cside.com

 展開後半、ラベリングした後、「どの考えにも共通していることは何か」と問う。

さらに許す場面の動作化。感想交流。

終末で、「これまでの自分を振り返って実現度」「これからの自分に生かせそうな感覚の度合い」をそれぞれ5段階の数字で表す。

 

・・・なるほど。「分けて比べる」、問い返しの切り札で再考し深める。

動作化はP101の「体験的な学習」 6年生でも役割演技!

 

チャレンジですね。けれど、

改訂を踏まえて、質的な転換、質の高い多様な指導方法を検証する必要もあります。

私の今後の課題とします。

 

 

 有意義な秋の3連休の夜長でした。真面目やな~~

杉並区を見に行きたい「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」へ

 

杉並区の取り組みは苫野氏のツイートで以前から知っていましたが、

始まったばかりとはいえ、

モデル校もある。動き出している。

 

私立ではなく、学校単位でもなく、

行政区が堂々とこのようにチャレンジすることに

敬意を表します。

 

名古屋市の取り組みも気になります。

www.nikkei.com

 

福山市の小学校も公立です。

globaledu.jp

道徳科の内容22項目を読み直してみる 9

9 礼儀

〔第1学年及び第2学年〕 気持ちのよい挨拶,言葉遣い,動作などに心掛けて,明るく接すること。

〔第3学年及び第4学年〕 礼儀の大切さを知り,誰に対しても真心をもって接すること。

〔第5学年及び第6学年〕 時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接すること。

(中学校) [礼儀] 礼儀の意義を理解し,時と場に応じた適切な言動をとること。

 

 

 

・〔第1学年及び第2学年〕 で「気持ちのよい挨拶,言葉遣い,動作などに心掛けて」というのは、礼儀正しいとされる代表格だからうなずけるとして、

後半の「明るく接すること」というのは、意外だ。「明るく接する」のは礼儀正しいことなのか。…改めて考えてみるとそうかもしれない。明るくないとそれだけで人に不快感を与えることがある。しかし、明るければいいというものでもない気がする。

 

礼儀の大切さを知り」礼儀の意義を理解し」について。礼儀はなぜ大切なのか、私は説明できるだろうか。私自身がよく理解しているだろうか。

指導要領解説には、

礼儀は,相手の人格を尊重し,相手に対して敬愛する気持ちを具体的に示すことであり,心と形が一体となって表れてこそ,そのよさが認められる。(中略)自分も相手も気持ちよく過ごせるようになる。 」「(中略)人間関係を豊かにして社会生活を円滑に営めるようにするために創り出された文化の一つ」「社会生活を営む上で欠くことのできないもの」

とある。

礼儀とは、相手の人格を尊重する心を形で示すことであり、それは「相互理解、寛容」と同じく、人々が分かり合い平和に暮らすためことにつながるから大切なのだ…私が自分の言葉で言うとそうなる。

アメリカ等は日本よりも上下関係を気にせずフランクだと聞く。しかし、頼み事をする時や尋ねる時、お礼を言う時や謝罪する時など、敬語のようなものもあるし、日本と同じ礼儀作法ではないとしても真心をこめて相手を尊重して接することは、国を越えて大切なことだと思う。「礼儀」とは「相互理解、寛容」「親切、思いやり」「感謝」と大きく関わるものだ。

 

 

・「誰に対しても真心をもって接すること」とある。真心をもって接することが、つまり「礼儀」の正体なのだ。礼儀とは、真心。誠意。

しかし、それが誰に対してもできるだろうか。いつでもできるだろうか。私はできていない気がする。敬愛している人、好きな人、初めて会う、しかも今後関わりがある人にはしていると思うが、

嫌いな人、家族、もう今後関わらないであろう人に対してや、精神的余裕がない時には「礼儀はどうでもいい」と思っている自分がいる。

難しいこと、しかし、尊いことだと思う。どのようにすれば可能か。…自分はこうありたい、という思いを強くもつことか。例えば、「どんな相手にでも真心をもって接する。そのことで、よい社会の循環を築く存在に率先してなりたい」「親しき中にも礼儀あり」という思い、信念をもつこと。

 

・そこまで礼儀正しくしなくても…と思うことはないだろうか。「相手も大切だけど、もっと自分を大切にね」と思うこと、人。思い当たる。恐縮してしまうこともある。礼儀も加減が必要ということか。難しいなあ。

・よくよく考えてみると、あいさつも当たり前のように思えて、実は難しいこと。「おはようございます」1つとっても、状況によってはしない方がいい場合もあるし、仕方を調節した方がいい場合もある。(相手が泣いている時や話し込んでいる時、病院、知らない人がたくさん集まるアミューズメントパーク、知っている人がたくさん集まる運動会…)それを子どもたちは日常の中で自然に覚えていくのか。考えてみると、すごいことだ。

 

少林寺拳法をしていた私は、目を合わせて「合掌礼」し、互いに感謝し敬意を払うことのよさを実感してきた。武道に関わらず、スポーツ等を通じて、あいさつを始めとする礼儀のよさ、必要性を実感する子は多いのではないだろうか。

 

・あいさつや返事などは割と日頃から生活の中で指導する事柄だ。それを改めて授業で考える。どんな教材で、どこまで深められるか。表面的にならない工夫が必要。哲学対話をしてみるのはどうだろう。

道徳科を学び直す「道徳的価値とは」

「価値」「人間理解」「価値理解」と漠然と使ってきたけど、それって何だっけ?と

先日、同僚と話していて思ったので、この機会に調べました。

私、こんな基礎も分かっていなかったのです。(汗)

 

こちらのページが分かりやすいです。北海道教育委員会↓

http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kkk/gimuhan/doutokukyouiku6.pdf

 

これを理解した上で・・・

実際の授業で、児童に、これらの理解をどう深めさせるか。

どにかく具体を通して考えなきゃな。

自分が考え、また、他人の実践事例を通して考えよう。

 

 

 それと、付け加えです。

前回紹介した「青木理論」について調べている時に見つけたこちらのページ。

平成22年のもので少し古いですが、道徳科のポイントがコンパクトにまとまっていると思います。広島県教育委員会

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/32042.pdf

コンパクトとはいえ、これを消化して実践に生かすには、私にはまだ時間がかかりそうです。

何となく気付いていたことも多いですが、今更ですがこの機会に整理できたことは収穫です。

 

 

そして、こう眺めると、改めて、疑問が湧いてくるのです。

つづく