私の原体験1 ~第15回 教室『学び合い』フォーラム全国大会in福岡
1日目の最後に、その日の午後に6年生算数の実践発表された先生が壇上で語られたのですが、そのお話にものすごく共感したんです。
(もう今年でご退職らしい。ラストランまで熱く燃え、挑戦し続ける先生に感服!そうありたいと思った!)
その先生は、学級経営にも授業にそこそこの手応えを得ていた50歳くらいの時に、1年生を担任して、自己嫌悪に陥ったそうです。
しかってばかり。あれ、自分ってこんなだっけ?
これでいいはずがない、と。
もう教員辞めよう・・・とまで思ったそうです。
そんな時に出会ったのが、同僚の先生が実践しておられた『学び合い』。
挑戦してみよう!と奮起し、教えを請い、
「一人も見捨てない」「子どもたちは有能」の思いで試行錯誤して来られたとのことです。
(かなり省略してすみません)
…私と同じじゃん!!!!!
(いえ、私は『学び合い』は実践しておらず、「なんちゃって」を少ししただけです。)
私も去年1年生35人を担任した時に、
トラブル頻発で叱ってばかりで、
「自分って、こんなのだっけ?」「これじゃいけない」
自分に嫌気がさして、「教員辞めよう」とさえ思いました。
授業でも、授業に身が入らない子、学習内容が分からない、できない子が多数で、
「これまでの方法が通用しない」「どうにかしなきゃ、でもどうすれば?」の一心。
そこで、算数の練習問題に取り組む際に、教え合いをしたんです。
早くできた子に「丸付けマン」「お助けマン」になってもらって、
分からなかったら誰に聞いてもいいよと伝えて
(答え丸写しは意味ないよねと確認して)
・・・
そうしたら、みんな真剣。私が教えるよりよっぽど一生懸命。
退屈そうにしている子なんていない。
早くできた子も、必死!生き生き!
「できた!」「わかった!」「○○ちゃんに教えてもらって分かったんよ」と目を輝かせて言いに来る。
「ここがわからん」「これ、〇〇君のやり方やね」「おれ、このやり方が好き」
生の子どもの声がたくさん。
私は大きな手応えを感じたのです。
国語の「じどう車くらべカードづくり」の調べ学習でもやりました。
(そうでもしなきゃ、自分で調べて書くのができない子がたくさんいるんですもの)
「クラスのみんながカードを書き上げられるようにしよう。」
とめあてを確認してスタート。
・・・確かに、立ち歩く子がいますよ。
話す子がいてザワザワもしますよ。
教室に来られた他の先生から、「落ち着きが足りないね」と言われるんです。
でも、誰も遊んでいないんです。みんな課題に集中しているんですよ。
たまにパワー切れの子がいたら、周りの子がうまく声をかけるんですよ。
私が言うよりよっぽど聞くんですよ(笑)
私もひとりひとりの様子・気持ちがよく見取れて、
何より、楽しい。
・・・当時は、西川純氏の『学び合い』も、苫野一徳氏の「教育の力」で読んで名前だけ知った程度でしたし、
ザ・自己流です。
それに、それまでの十数年間の教師生活の中でも、このような「教え合い」はもちろんしました。どうにかどの子もできる、最大の学びになる方法はないかと試行錯誤していましたよ。
でも、去年の1年1組、これほど毎日悩んで、試して、一喜一憂した時はありません。まさに私の原体験です。(38歳にして・・・遅い・・・でも強烈です。)
そういえば、自分が5年生の時の先生も、算数の練習問題は、形はかなり違いますが子どもたち同士の「教え合い」でした。
そこで私は割と早く解き終わる人だったので、小さい先生として教える役をよくしていたわけです。
・・・それが実に楽しかった! どうやったら分かってもらえるか工夫して教えることの苦労と快感、分かってもらえた時の喜び。
教員をめざすようになったきっかけの1つです。
・・・ありました、ここにも私の原体験。
つづく