授業とは「子どもたちってすごい!」と感じさせてもらえるもの
授業とは、「子どもたちってすごい!」と感じさせてもらえるもの。そう感じた4月です。
(「大人・教師の方がえらい」という錯覚を打ち消してくれるもの)
授業って何だろう。オンライン授業と違う点、同じ点とは?
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
・2年国語で巻頭の詩「たんぽぽ」。子、まごを隠して提示し確認、ところでまごって何?説明できると手を挙げたのは一人。「おばあちゃんから見れば、子は孫」なるほどの説明。余計キョトンの子も。図でなるほど。それで、言ったのは誰だっけ?
…たんぽぽ!いや、ちょうちょじゃろ。ちょうちょうって書いてあるよ。絵のここにおるよ。それで、たんぽぽはどう思ったのだろうね。うふんと笑ったから、嬉しかったと思うよ。まぶしいって言われて嬉しかった。そんなことないよと面白かったと思う。いや、そうなのか〜と信じたと思う。…
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
算数1年未履修「おおいほうすくないほう」。数図ブロック〇〇〇、答えは3こだよね。いや、BさんはAさんより3個少ないと書いてあるから8−3で5個だよ!ああ、図のここが3個なんだね。次の問題、多いとか少ないとか書いてないよ?2個負けたって、2個少ないってことだよ。なるほど〜…
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
答え9個だね!あれ?でも絵では6個しかないよ?本当に9?(揺さぶられる子ちらほら)手で3個隠れているんだよ。あ〜そうか〜
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
①分かったつもりがあぶり出される。
②多様な考えに触れることができる。
③自分や友達の発言、つぶやき、反応で進んでいくドキュメンタリー番組。
生活科「春はっけん」。2つ並んだけしのつぼみ。一方がお辞儀をしてもう一つを上から覗く。「チュってしてるよ」触っているうちに中から花びらが。周りのみんなも感動。
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
国語。先生、ふきのとうってかわいいね!と言ってきて、中間休みに自主的に劇を始める子が数人。
何と豊かな感性と学び合い!
生活科。「オオバコは学校にもあるよ!あっちの方に!」他のみんなが「へ〜!」「いこうや!」
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年4月19日
子どもの方がよく知っている!
「笹舟を作りたいです」…けど学校には笹がないかもね。5分後「先生、あったよ!」
授業
④ヒーロー、ヒロインが生まれる。子どもの方が先生に。
⑤人間味のある営み。
休校中 我々がすべきこととは
やらなければならないことと、やりたいことが、山積みです。
集会案パターンA・B・C、縦割り班編成、教材研究、授業研指導案づくり、
学習ソングづくり・・・
大量の追加プリントを印刷し、綴じ、
道徳の挿絵等、カラー印刷できるものをし、
運動会ダンスの候補DVDを見てキャプチャし、
静かな職員室で黙々と仕事・・・と思いきや、
半分の教員が在宅勤務の中、10人くらいで過ごす職員室、
「これどうしようか」「こんなのはどう」「こんなことしてみたい」
「これを何とかこうしたい」等々
湧き上がる湧き上がる!!!話に花が咲く!!!
三密を避けながらも、話と即実践は止まりません!!
家に帰ってからも考えてしまいます。
・・・だれも見ない掲示、作るのに手間がかかりすぎるのは残念。
そうしない工夫とは。例えば、手洗いの掲示なら、
「ばい菌を落とすには 20秒 必要」
みたいなインパクトあるキャッチフレーズの工夫はどうでしょう。
本校は「善悪の判断」「郷土愛」が重点項目だから、
郷土愛でいけば、地域の人、場所、ものの写真?を飾るのはどうだろう。
ICT。教師も子どもも機器を活用しやすいように、やりたいことやるべきことがたくさん!情報担当でもないのに気になって仕方がない。遅れすぎ。
外でトイレの尿石取りや溝の土をのける作業をされた先輩もいらっしゃいました。
鏡!
けれどやはり私の関心事は、授業。そして子どもたちの心身の健康。
休校が長引く可能性がある中、復習プリントを渡すのを繰り返す、保護者との電話連絡ではどうにもならない。オンライン授業なり何なり、どうにかするには、連休前の今、もう動いておかなければならないのでは?
・・・と、たまに読んでいるこの方のブログを読むと、同じことを考えていらっしゃって、文科省のスタンスなどがまとまっていました。授業動画の素人がつまらない授業動画を配信するのでは児童は退屈に違いない。ではどうすれば・・・
「あいさつ」の漠然とした振り返りからの脱却
勤務校のチャレンジ目標は「あいさつ・返事でつながろう」です。
児童会主体で様々な取り組みをしたり、年度中間や年度末の振り返りをしたりするのですが、
「振り返り」これが漠然としたものになりやすく、例年課題を感じていました。
改善策の一つとして2月に試してみたのが以下の質問です。
(あいさつのクラス目標に対して)
①自己評価(4段階で) ②クラスを評価(4段階で)
クラスA・B・Cと全校トータルの結果は以下のとおりでした。
棒は左からクラスA・B・C、右の囲んであるのが全校トータルです。
運営委員会と、代表委員会で、これらを提示しました。すると児童は比較してすぐに気付きました。
「自分では『できている』と思っていても、周りから見るとそんなにできていない」
これを基に来年度もこの目標を継続しようとまとまりました。
そして次に、具体的には、「いつ、だれに(どんな状況で)」「声の大きさや、自分からなど」何ができていて何ができていないのかを話し合いました。
さらに、「今年度の取り組みで効果的だと思ったもの」について尋ねると、「あいさつスローガンの設定」「あいさつ運動」「全校あいさつ会議」の順で得票が多い結果となりました。予想どおりです。
しかし、注目すべきは「クラスでの取り組み」の得票がクラスによって開きがあったということです。あるクラスでは0票。あるクラスでは20票というように。
課題と、来年度の方向性が見えてきました。
どのクラスの児童も「自分たちのクラスはこの目標達成のためにこんな取り組みをしています」「この取り組みのここを改善してより効果があるようにしました」と言えるような取り組みができるようにしていきたいものです。
児童の自治性、主体性を生み、活かす、各担任の手腕が問われますね。
それを支える特活部の手腕も問われます。
現場からは以上です。
何かの参考になれば幸いです。
【子育て】「おはじき遊び」で算数&ルールの工夫
棚からおはじきを見つけた娘が「これって何?」と持ってきた。
おお、昔買っておいたが、娘もおはじきができる歳になったなあと思い、早速開始。
なかなか新鮮な様子。
私が左手ですることで、勝負も拮抗。
数えるときに、「2、4、6、8、10」と私が何気なくやると、娘も真似をする。真似をするけど、2個とったり、1個とったり。
「あれ?2個ずつ取るんだよ」
こうやって「○個ずつ」の概念が形成されるんだなぁ。
数えられるようになったが、またまた問題が。
十何個か分からない。それをいいことに数をかさ増ししてごまかす娘!
ここで「10のまとまり」を作って…
10と8で 18!
10と9で 19!
そこで出ました、
10と10で… 「10 10」!!(笑)
ん??10 10ってあるっけ?! 娘と爆笑
1から数えていくと…18.19.20
あ、20だ! 10と10で20かあ!
そんなやりとりが自然に生まれて楽しい楽しい時間となりました。
たまたま、初めはおはじき30個くらいで始め、途中に増やして45個くらいにしたから、10と10で20に気づけるこんな流れになりました。
お金でお買い物ごっこをする時には10.20.30 30円とやっていましたが、
よくわかっていなかったのですね。
さて、おはじきはじきにも数えるのにも慣れた…と思ったら、
最後の一個を取る時の動作(ぐるぐるピーストンネル✌)がまだまだやりたい!と言うので、
もう、ゲームの最初から弾かずにぐるぐるピーストンネルばかりやるルールに変更!!
しかしそれにも飽きた娘。
何か他におはじきを使った遊びは無いものか…
そうだ、よく将棋の駒で行う「山崩し」をしてみよう!
しかし、おはじきは丸みがあるので、すぐに音が鳴ってアウトに。特に娘は。
イライラする娘。
そこで、「二枚重ねをそのまま取っても良い」ルールを追加。
これでなかなか楽しく盛り上がる!
遊びは【問題解決力】【創造力】が試されるし、培われるなあと、
改めて遊びの奥深さを感じた夜でした。
遊びは学び 学びは遊び!
学校の勉強はしなくてもいいの?
koukishinousei445.blog.fc2.com
今度、参観日の学活で「なぜ勉強するのだろう?」についての授業が6年生であります。
そういえば過去、このことは私の関心事だったので、記事を書いたなあと見返したら、出てきました。転載します。
今見返すと、ほぼ今も同感。でも、まだまだ書きたいことがでてきました。それままた今後の課題に。
生徒:私は将来、何となくだけど小学校の先生になりたいと思っていて、大学の教育学部に進学したいと思っている。もし先生にならないとしても社会のことを広く勉強したいからその意味でも大学に進学したいと思っている。だから高校の普通科に入学したんだけど、正直に言って、高校での勉強がおもしろくない。苦痛。
おばさん:そっかあ。なぜ勉強がおもしろくないと思うんだろうね?
生徒:だって、中学までの勉強は人生の役に立ちそうなことが多いし、少し頑張れば理解できて楽しかった。でも、高校の勉強は受験以外の何の役に立つのかわからないし、身近なものと結びつかない。それに格段に難しい。例えば古文、歴史、数学、化学・・・覚えないといけないことが多い。それに部活とか生徒会とか遊びとか、勉強の他にやりたいことが多くて勉強しないから、余計勉強が分からなくなっておもしろくない。悪循環だよ。勉強しない自分のせいだけど、やる気が起きない。
おばさん:なるほど。確かに、勉強内容が役に立ちそうにない、身近に感じられないのはその通りだと思うよ。極論を言えば、学校での学習の内容は
生活上の基礎・常識 というよりも
学問上の基礎・常識 なんだと思うよ。
小学校の勉強はその二つが重なり合っていた。けれど、中学、高校と、上に上がるほど、その重なりは小さくなっていく。だから実生活とのつながりが実感しにくくなる。
生徒:なるほどね。学問に役立つものであって、生活に役立つものとは限らないんだ。
でも、古文も歴史も学問上の常識なの?かなり専門的だと思うんだけど。数学や化学は理系の人だけが勉強すればいいでしょ?高校で全員が学ぶ必要ある?
おばさん:いろいろな学問の基礎なんだよ。古文漢文はどの学問でも昔の資料を読むのに必要。古文漢文が読めなくても誰かが訳したものを読めばいい、けれど、訳というものは訳者の解釈が入っている。それに、訳されていないものは読めない。
歴史もそう。どの学問分野でもそれがいつの時代にどのように発見されてきたか知るためには、そもそも世界や日本がどんな歴史を経てきたかを知らないと分からない。
数学は、とにかくいろいろな学問分野に使われる。文系科目、例えば社会科学の統計や、あなたの好きなスポーツにだって高校数学が必要なことがある。運動力学やスポーツ社会学で調査結果を分析する際にね。
中学高校の間にはまだ将来就きたい職業や進みたい学部がはっきりしていない人が多い。だから、将来どの道に進むこともできるように、それらの学問の基礎となるものを高校は必修科目としているんだよ。
学年が上がるにつれて選択科目が増えていくでしょう。それは将来進む道をだんだん絞っていきましょうということだと思うよ。
それに、どの分野も他の分野とつながっているものだから、専門家にも幅広い視野はあった方がいいものだからね。
生徒:ふむふむ。いろいろな学問上の基礎だし、将来の選択肢が広がり視野も広がるというのはわかったけど・・・
う~ん、でも、実際に将来、学問を追究する人は少ないよね?例えば経済学を究めるというより商社に入るために経済学部に入るっていう人もいるよね。むしろその方が多いのではないかな。
それに、幅広い視野っていうなら、教科書に載っていることよりももっといろいろなことを勉強した方が視野が広がるのでは?例えば世界各国の文化とか、軍事力のこととか。
おばさん:確かにね。でも、少しの人でも学問を追究する人がいてくれるから世の中が発展してきたのだから、学問は大切だよ。国にとってはそれは死活問題だから、そういう人材を確保したいっていうのが本当のところかもね。
ではそれ以外の人には学問の基礎はメリットがのないかというと、そんなことはないと思うよ。
どんな目的であれ経済学部に入る以上は経済学を勉強して単位を取るのだから、その基礎になる学力は必要だよね。
何より、教科書に載っていることって、人類の英知の結晶だよね。本当はどれもが大発見だったことなんだ。学校ではそれをただ淡々と教えることが多いからおもしろく感じられないと思うけど・・・ 私もそうだったしね。大人になって、いろいろな本を読んだり調べたりするとおもしろさに気付くことがたくさんあるよ。数学も化学も一から勉強し直したいくらいだよ。学校の勉強で勉強が嫌いになるのはもったいないと思う。
生徒:へえ、勉強し直したいの?!だったら私の代わりに授業に出てよ(笑) 私はちょっと現場で働いてみたいからさ。
感動なんて全くないよ。歴史、化学、生物などなど、どれも暗記しないといけないことが多すぎる!!嫌になるよ。
おばさん:確かにそうだよね。分かるよ。私も高校時代は全然勉強していなかったのよ。受験まであと1年弱ってところで、本気で教員になろうと決めて、お金がかからないように国立を目指して、そのためには5教科まんべんなく必要だから、必要な勉強を必死にやった。でも受験が終わったら、特に歴史や数学はほとんど忘れちゃった。もったいないと思う。
それならば、例えば、「なぜ戦争はなくならないのか、これまでの戦争はどのようにして起こってきたのか」「公教育はどうあるべきか、これまで国内外で教育はどのように行われてきたか」「非婚化晩婚化はなぜ起こるのか、結婚の在り方はどのように変化してきたか、また外国の場合はどうか」「地方の過疎化は防げないのか」などのテーマを自分で決めて調べてまとめて発表し合うみたいな学習の方が有意義だと思うよ。でも、それだと身についた力を受験で測るのは難しいね。
生徒:そうそう!そういう勉強ならしたいんだよ。それにね、主要教科だけでなくて、教科の枠を超えたテーマ、例えば、さっきも話に出た、世界の文化や軍事力の話でもいいし、環境とか生命倫理、働き方、お金、地域等々について、自分たちで課題を決めて調べたり解決したり発信したりする。そんな勉強があってもいいと思うんだけどな。ほら、小学校では割りとあるでしょ、そんな授業が。総合的な学習の時間で。
おばさん:確かにそうだね。本来、勉強とはそうあるべきだと思うよ!それは大人になってからも必要とされる力だよ。
国もそう考えていて、次期指導要領では「アクティブラーニング」がキーワードになっている。児童生徒がより主体的・対話的に、深く学べるようにしようとしているよ。そもそももう20年以上前には「生きる力」(自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。豊かな人間性。健康や体力。)が大切と言われ、それで総合的な学習の時間が誕生したんだ。
大学入試も変わろうとしている。「知識」だけではなく、それを活用する能力、表現力などを含めた広い意味での学力を測るものであるべきだとの議論が長年されていて、2021年からは大学入試センター試験が筆記になるなど大学入試改革が進められているよ。大学もそれぞれがどんな学生をどのように育てるか特色を持つようになり、入試も大学が求める学生像に合わせてより多様化すると思われるよ。
生徒:へえ、そうなんだね。でも、結局高校で勉強しなきゃいけない科目は変わらないでしょ?内容も減らないでしょ?主体的に学ぶ授業って言っても、内容が減らない限り講義スタイルが変わるわけないんじゃない?
おばさん:確かに。おばさんもそう思う。2002年、さっき話に出た「生きる力」が提唱されて「総合的な学習の時間」が始まった時期に、教科の学習内容が削減されたんだけど、基礎学力が下がったと批判があり、削減された分は2011年に結局元に戻ったよ。
私が最近読んだ苫野一徳さん(教育学者)の著書「教育の力」によれば、実際に授業のスタイルが変わるまでには20~30年かかるらしいよ。
生徒:そんなにかかるの?!なぜ?!
おばさん:いろいろな理由があると思う。まず、内容が減らない理由から考えてみると、
1つには、大学側の都合だね。大学は大学で教える内容があるから、高校までに学んでおく内容が減っては困るのだろう。大学もそれこそ競争社会の中で成果を求められているからね。
他には、いわゆる基礎学力は測りやすい学力で、それは数値に表われる。下がれば批判されやすい。それに対して問題発見・解決力、表現力、協同性といったものは測りにくく数値に表わしにくい。伸びたのかどうなのか証明しにくい。
それから、方法が変わらない理由もいろいろあると思う。
さっき話したように、内容が減らないから講義スタイルで一方的にどんどん進めるしかないし、大学入試は変革されるといってもまだ従来のスタイルが主流だから、それに合った授業にどうしてもなるよね。高校も合格率を上げるのに必死だからね。
それに、教員は、自分たちが受けてきた教育、これまでやってきた教育が体にしみついているから、それを変えるにはよほどの研修と動機付けが必要なんだ。けれど現場にはその余力がない。
それから、苫野氏の著書「教育の力」にも書いてあったんだけど、日本の生徒の学力は世界でトップレベルで、格差も比較的少ない。それは学校教育が全国どこでもどの子にも、そこそこ質のよい教育を保障している強固なシステムだからだそうだ。しかしその盤石さゆえに変わりにくいのだそうだ。
けれど、実は100年も前から、主体的・対話的で深い学びが生まれる実践は、海外でも国内でもいろいろと積み重ねられてきているから、それを参考にすれば学校も変わっていくことはできる。急速に変わろうとすると混乱してその割を食うのは子どもたちだから、ゆるやかに、しかし着実に変わっていくべきだし、それは可能だと述べられていたよ。
私は、実は今の学校教育に疑問を感じて、希望をもって前向きに仕事を続ける自信を失っていたんだけど、苫野氏の考えに納得してそれが変わったよ。
生徒:そうなんだね。先生にも葛藤があるんだね。
おばさん:そうだよ。悩んでいるし、強がっているんだよ(笑)
なぜ勉強しなきゃいけないのか、勉強は何のためにするのか、どんな勉強をするべきなのか、どう生きていきたいか。そんな根本的なこと、哲学的な問いについて考えることは大切なことだと思う。だから、大いに悩んだらいいと思う。
おばさんも今頃になってそれを考えているよ。どんな教育がよい教育なのか。学校はなぜ必要か。何をすべきところなのか。それを教員として、親として、改めてじっくり考えておきたくなったんだ。
生徒:へえ~~ 生徒と先生が実は同じようなことで悩んでる。不思議!対立するものではないんだね。生徒と先生と、それから親と、みんなで座談会をしたら意外に意気投合しそう(笑)
おばさん:うんうん。きっと親も、勉強しなさいって言っても伝わらなくてイライラしたり、この勉強は将来どんな役に立つのかと聞かれて、確かにあまり役に立っていないと気づいたり、親なりの悩みがあると思うよ。
生徒:そうだろうね。一緒に悩んだらいいよね。そして一緒に解決策を探していったらいいと思う。
学校が変わるのに20~30年もかかるんだから、それを待っていられない。そんな中で私たちはどんな心構えで、どのように勉強していったらいいのかなあ。
今の教育制度に不満を募らせて学校の勉強を全くしないのは自分が損するだけだろうし、
受験後にすぐに頭の中から消えるような勉強ばかりを嫌々するのももったいない。
そのどちらでもなく融合した「第3の方法」を見出すよ。
おばさん:うん、また話そうね。自分でも考えてみるよ。
必見「Most Likely to Succeed」オンライン配信開始!
https://t.co/FzXyh2np99
— しょ@小学校♪母♪作曲♪漢字 (@Obachandoeeeesu) 2020年2月7日
FutureEdu Tokyoからのメールで知りました!私が影響を受けたドキュメンタリー映画「Most Likely to Succeed」オンライン配信スタート!
2年前、苫野一徳氏を知り、
1年前、この映画の上映会に隣の県まで一人で行きました。
これを見ると、
教育の在り方、学校の在り方を問い直さずにはいられません。
大きなインパクトのあるドキュメンタリーです。
具体性、実話って、インパクトを生むんだなあと改めて思います。
ちなみに以前私が書いたブログはこちらです。
http://koukishinousei445.blog.fc2.com/blog-entry-140.html
お気に入りツイート2020.01
【知覚動考】
— 葛原祥太⚡️#けテぶれ #NKS思考法 #心マトリクス 考えた人 (@barikii) 2020年1月17日
僕の好きな四字熟語です。
「ともかく動こう」と読みます。
知 (とも) 問題発見
覚 (かく) 直感
動 (うご) 行動
考 (こう) 思考
問題を知り、こうじゃないか!?と思ったら即行動、必ず思考。ともかく動こう。もう答えはあるんだから。
BOT
「好きな事を仕事にできるほど世の中は甘くないぞ」とか言ってくる奴いるだろ?逆だから。「好きでもない事を嫌々やって成功できるほど世の中は甘くないぞ」だから。好きな事やりなよ。そっちのが楽しいし。楽しい事は続くし。続くと熟練されていって成功するし。好きなことがあるってのは立派な才能。
— Testosterone (@badassceo) 2020年1月18日
“悪口はやめよう”
— 花は咲く@教育✖︎国際貢献 (@firstlighter) 2020年1月18日
そう言って、悪口がなくなるならば、教育とは実に簡単な営みです
ちなみに、「〜をやめなさい」という指示では、子どもの行動を変容させにくいです
「死人テスト」で検索してみて下さい
①書く
②配る
③読む
続けることで着実に心が育ちます#三行教育技術
心を育てる通信26 pic.twitter.com/NjyRuePZUo
昔の担任が、
— みや@キャリア教育×個別指導の人 (@akimiya1_0410) 2020年1月19日
「ここ間違えやすいんだけど、ざわと間違ってくれる人いない?」
~誰かが空気を読んでわざと間違う~
「え、今の間違いなの!?」ザワザワ
「そうなんだよ~、間違えてくれてありがとう!」
という流れをする先生がいて、楽しかったし、成績のマウントも取らない良いクラスだった
全国学力テストは教育基本法違反です!(前屋毅) - Y!ニュース https://t.co/NkH3AOCNoQ
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2020年1月22日
リヒテルズ直子さんのインタビュー「私はイエナプランの紹介はしていますが、イエナプランの学校が日本にたくさんできればいい、とは思っていません。(略)日本の人々がもう一度教育の原点に立ち戻って、自らの学校を見直す時期が来ているのではないかと考えているんです。 」https://t.co/B5NtygxuVq
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2020年1月24日
跳び箱の教え方について、PDF資料があります。
— 三好@小学校教師 (@fukuekubo39) 2020年1月26日
よかったら、これを「2枚を1枚」設定で印刷して使ってください。https://t.co/oPWwAoV6Io https://t.co/bVoVAMOMce
2020年 お漏らし事件を教訓に 年頭の所感
あけましておめでとうございます!
年末にショッピングモールに娘4歳と二人で
でかけた時、抽選会場で大勢の人が並んでいるところで、娘が「お漏らし」をしてしまったのです。
その時、つい私は、「何してんの、バカ」「さっきトイレ行かないって言うからこうなったじゃん」と言って、頭を軽く叩いてしまいました。
翌日、お風呂で、娘が「大事な話がある」と言い出し、
4歳でもそんなこと言うのか?!と驚きながらも耳を傾けると、
「昨日、お母さん、『バカ』って言ったよね。頭も叩いたよね」
と穏やかに話してきました。
…深く反省しました。
しかも、
私は、「他人が、自分の落ち度を棚に上げて、私のせいにしてくるのが嫌い」で、児童や我が子に対してアンガーマネジメントが難しくなるアンガーポイントだなあと先日気づいたばかりでしたが、
その割には私は自分の落ち度は棚に上げて、娘のせいにしていました。
おもらしして、惨めさでいっぱいの娘、私がサービスカウンターまで走っている間、水たまりの上で一人で寂しく待つ娘、
それなのに私は、自分のことしか考えず怒ってしまったのです。
私は、そんな親、人間でありたくはない。
娘はこんなこともつぶやきました。
「お母さん、
どっちもどっちだよ」
この「お漏らし事件」と、
娘の「大事な話がある」「どっちもどっち」発言という具体的な出来事を心に留めて、
なりたい自分を思い描きながら
2020年を生きていきたいと思います。
去年いただいた、先輩からの年賀状に、「子どもの成長は早いよ!」と書いてあるものを何通か見ました。
一年前は何気なく見ていましたが、今の私の心には強く響きます。
娘は、私の想像以上に思考力と感性が育っていっている。あっと言う間に。
発想、言葉… 書き留めておきたい瞬間がたくさんある。
仕事の手記は毎日書いている、ブログもたまにだけど書いている。なのに、子育て日記はほとんど書いていない。
仕事関係のこと、作曲、読書、英会話、ギター、したいこともしなければならないことも山ほどあるけど、
生き急がず、また5年後くらいにすればいいやという気持ちをもち、
娘とのかるたやトランプ遊びを楽しみ、
一緒に家事をする余裕をつくり、
ご飯を一品追加する。
家庭第一!!
我が子が「ひらがな」を読み始めた。(いつから勉強が嫌になるのだろう)
たどたどしいけれど、懸命に、けれど楽しそうに読む。
つまったところで教えようとすると、
「教えないで!!」と言う。
促音や拗音(小さい「つ」、小さい「や」「ゆ」「よ」)の読み方を、
職場で取り組んでいるMIM(ミム)の要領で ↓ 教えると、
(例:1音ずつ手をたたき、小さい「つ」では手を握って一拍休み。
「しょ」は、「しよ」「しよ」・・・だんだん速く言って・・・「しょ」)
そこは必要感が高かったようで、それはそれは真剣に聞き、真似し、
数日もすれば習得した。
前は車のナンバーのひらがなを読む程度だったが、
今では(4歳7ヶ月)字幕や絵本を読む。
たどたどしいが、かなり読める。
読める喜びが全身から伝わってくる。
そして、真似して書こうとする。
サンタへの手紙も、私の手本を見ながら自分で書いた。
・・・「ん」の山が3つくらいあるけれど(笑)
小学校に上がるまでは、こうして、「読めてすごい!」「書けてすごい!」と褒められる。
しかし、小学校に上がれば、「読めて当然」「書けて当然」として、書けないところにはバツがつく。
学ばせることが決まっているから仕方がない。
しかし、
本当はそうではないことを、胸に刻んでおきたい。
その子にとっては、「読めた!」「書けた!」なんだ。
そして「読みたい!」「書きたい!」「知りたい!」という気持ちの輝きに寄り添いたい。育みたい。
・・・そういえば、この本にそんなことが書いてあったなあと思い出した。
「いつから勉強がいやになるのだろう」
教師である以上、「勉強」というものに向き合う。そのためにたまには他人の考えに触れ、比較検討だ。
勉強といえば、最近お気に入りのINKさんの記事も紹介します。勉強になります。
お気に入りツイート紹介
仕事でいろいろありまして、しばらく凹んでおりました。
ぼちぼち、再始動します。
子どもと向き合う時間を最優先にしたいとの思いで、執筆ペースは落とします!
備忘録を兼ねて、最近気に入ったツイートを転載します。
小学校の頃1人だけ大好きな先生がいた。
— トビ😈ブラックな学校改革 (@innovation9019) 2019年12月1日
遊び盛りの私は、雪が降った日に近距離から隠していた雪玉を担任の顔面に投げつけた。
その後、みんなの前で呼び出し。
怒られると思った担任から一言。
「朝顔に雪を投げつけられたのが悔しいから今から雪合戦をやります」
恩師です。#せんせいさいこう pic.twitter.com/cu928IOknz
「大学も決まり、後は本人に任せます!」
— 石井 克馬@教育に情熱を燃やす塾長 (@IshiiKatsuma) 2019年12月3日
大学に行くまでは準備期間なの?
いつでも、その時々は常に本番ではないかと思っています。
ずっと誰かに言われた事をやって来た子たちに「何ができる?」「何がしたい?」と急に迫ってくる社会…
子どもはいつでも本番を生きている!
準備期間なんて無い!
最近、ずっとコンビニ弁当やねん…ヒドくない?
— 石井 克馬@教育に情熱を燃やす塾長 (@IshiiKatsuma) 2019年12月6日
何を言うてんねん!お前が飢えないように、ちゃんとご飯を用意してくれてるやんけ!!
子どもたちが親のことを減点方式で、100点満点から評価している…
その原因は。。言わずもがな、減点方式で評価する大人だよね…
あと、算数で計算機使っていい国と比較するのもね〜
— ミザリィ (@dquest777) 2019年12月7日
深い学びについて調べている。指導要領編纂に携わった人の言葉が軽い。
— 三好@小学校教師 (@fukuekubo39) 2019年12月7日
いわく
私は授業後、生徒に話しかけました。
「どうでしたか?」
「どうして納得したのですか?」
「振り返ってみてどうですか?」
こうして深い学びの様相への近づいていくのですー
おい、授業ちゃうやん、それ。
授業例は?
授業は学力向上のためにする。だから、その時間の到達点がまずは必要。で、そこに動き出すための問い。ただし、これは教師側の話。
— むじ@ビジョンを掲げる生き方 (@mono_tune) 2019年12月7日
子ども側から考えたら、これは逆。まず問いがあって、到達点へ向けて動き出す。
だから、問いと到達点が明らかになってる必要がある。
先生は嫌われる仕事だと言う人もいるが私はそんな時代じゃないと感じる。昔はそれでも成立した。家庭でニュートラルに戻してくれたから。「あなたが悪い。」私もよく言われたものだ。しかし今は子が嫌うと家庭からも嫌われてさらにはクレームが入る。今は教師は何を言うかではなく誰が言ってるか時代
— アイムフリー (@TeacherhaGreat) 2019年12月8日
家の中を片付けていたら、息子用のいろんなツールが出てきた。
— Sicily (@callmesicily) 2019年12月8日
これは、息子が小さい頃、これなら食べられるというものをマグネットにしたやつだ。
「今、自宅にあってすぐに食べられるもの」を視覚化するためのもので、ここに貼っていないものは、在庫がなくて今すぐは食べられない。 pic.twitter.com/aIVEg1RXjP
毎日、「あれが食べたいこれじゃいやだ!」と泣き叫ぶ息子にほとほと疲れていたとき「家にあるものがわからないから叫ぶのでは」と考えて、まだ文字が読めない息子用に作ったのだ。
— Sicily (@callmesicily) 2019年12月8日
食べ物の写真を、写真にとって印刷できるマグネットシートに印刷して、一つひとつ切り抜いて作った。
フィンランドで34歳の女性首相、サンナ・マリン氏が就任へ。女性は歴代3人目 https://t.co/e3Skequzdd
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2019年12月9日
わかります!!
— おにぎり先生 (@onigiri_ikaga) 2019年12月12日
面談で良いことしか言われなくて、いやいやいいんですよ悪さも教えてくださいって思ってしまいました。
保護者に気を遣う(クレームを避ける)気持ちも分かるけど、私は本当のことを教えて欲しい。
うまくいかないと感じるときは、完璧主義に陥ってはいないか。
— 三好@小学校教師 (@fukuekubo39) 2019年12月13日
一流バッターでも、打率は3割程度だ。
全てをヒットさせようと狙いつつ、できないときだってある。
悔やんでもよいが、落ち込まなくていい。
打率10割にはならないのだから。
【ノミの実験の話】
— 年間500冊読書先生【とにやっ子】 (@toniyakko) 2019年12月13日
この話。めちゃくちゃ面白い。
①ノミは元々2m跳べる
②高さ50cmの蓋付きの瓶に入れると、痛いので、そのうち50cmしか跳べなくなる
③蓋を開けても、ノミは50cmしか跳べない
④同じ瓶の中に2m跳ぶノミを入れると、仲間を見て、また2m跳ぶ
自分に蓋をしてたら跳べなくなるんだな
たとえばごんぎつね。
— 三好@小学校教師 (@fukuekubo39) 2019年12月14日
ごんの心情を読み取るなんて、どうでもよくないか。それは評論家目線。
それよりも鈴木三重吉が
権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。
↓
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
と書き直したことの妥当性について話し合ってみたい。作家目線。