【更新・訂正】「もし」を考えることで深まるか浅くなるか
(1)二兎を追うことにはならないのでは
前回書いたように、同僚と話していて、
「『もし』を考え、ポジティブ結果・ネガティブ結果両方を考えることで、浅くなるのではないか」
と意見を述べました。
例えば、2年「わすれられないえがお」や「おれたものさし」(ポジティブ教材)で、主人公の「行動してよかった」についてその理由や心情を考え、よいと思ったことを行動に移すことのよさ(ポジティブ行動と結果)について考えるとします。
その際に、「『もし』行動に移さなかったらどうなっていたか」(ネガティブ結果)について考え比較することです。
3年のネガティブ結果教材「SL公園で」(ネガティブ教材)を例にすれば、
主人公の「注意しなかったからこうなった」(ネガティブ結果)と、
「『もし』注意したらこんなよさがあった」(ポジティブ結果)を両方考え比較することです。
理由は、2つについて考えると、1つについて考えることに比べて単純に時間が短くなるからです。
また、「もし」は仮定で、教材に書いていないことであり、児童が各々で違う土台をもとに考えたことを述べ合うからです。
しかし、そうとは言い切れないと感じ始めました。
それは、例えばポジティブ教材では、どちらか一面(A:行動に移してスッキリ、相手にもしっかり伝わる)を考えれば、2020/11/02更新(訂正)
「どうして主人公は行動に移せたのだろう」や「主人公はどんな思いで行動に移したのだろう」と問うことで、
一面(A:行動に移してスッキリ、相手にもしっかり伝わる)も、もう一面(B:もし行動に移さなければモヤモヤするし、相手に伝わらず正しくないことを繰り返す)も、どちらも含まれることになるからです。
ネガティブ教材の例で言えば、「どんなことを思っているのだろう」「どんなことを後悔したのだろう」と問うことで、
「B:注意しなかったから…モヤモヤした。みんなが叱られた。友達の成長にもならない。(もし女の人が来ていなかったらいつか大怪我など大変なことになっていたかも。どうにか止めたかった。)」
「A:『もし』注意していれば…言い返されるかもしれないけど、聞いてもらえて、スッキリしていたかもしれないし、みんなが叱られずにすんだ。悪いことをもう繰り返さず、危険なことにもなっていなかっただろう。」
という両面の意見が出てくるということです。
(2020/11/02 少し修正しました。)
(過去、それを分けずに板書したら、整理されずスッキリしなかった経験があり、
それからは、上段にAを、下段にBを整理して書くようになりました。)
こう考えると、発問を
①「Aを問うた後、Bを問う」のように2つに分けて問うのと、
②「行動の理由や心情を問う中で、AもBも出る、それを分けて書く」のと、
時間のかかり方はそう違わないのではないかと思い始めました。
では、深さはどうなのでしょう。…難しいです。
(2020/11/02追記)
ポジティブ教材の場合、前述のように「言いにくかっただろうに、どうして注意できたのだろう」「どんな思いで言ったのだろう」という発問で引き出しやすいですが、
ネガティブ教材の場合、「どんなことを後悔したのだろう」では深いところまでは出にくいので、「ずっと考え込むほどとは、何を考えていたのだろう」等と揺さぶらなければと思います。しかし、その発問は、児童の意欲を喚起するものとは言い難い。
となれば、Bを問うた後に、「A:もし行動ができたら…」と問う方が自然であるし、前向きな気持ちになれます。「実践意欲や態度を養う」というねらいに合うと思います。
同僚の提案の意味が今ようやく分かりました!
ここまで来て、改めてこう気付きました。
…結局の所、「揺さぶり」をかけて、間口を狭くして、児童が本気で考えるようにできるかどうかが深さを左右するのだと思います。
例えば、2年「わすれられないえがお」では、「わざとでなくても足を踏んでしまったのだから謝るべきだと言っていたお母さんの言葉を思い出した。謝ろう。でも怒っているように見えるおばさんが怖くて言いにくい。でも言おう!」という葛藤をおさえた上で、
「A:自分から謝ってよかった。なぜなら…」と「B:もし謝っていなかったら…」
を整理する。それなら前述の①でも②でも似たようなものだと思います。
しかし、この後、「でも、この話ではおばさんがにっこりしてくれたからよかったけど、実際には謝ることで逆に『遅い!』と怒られたり、『もっと早く言うべきだよ』と注意される場合もあるかもしれないよね。もしそれでも自分から謝る方がいいのかな?」
と揺さぶることで、児童の思考はもう一段深まったように思います。
【別の「もし」発問】【条件・結果を変えた「もし」発問】です。
これは難しい面もあると思います。
「A(よい行動をした結果)とB(もししなかった場合の結果。仮定。)の比較」
よりも、この、
「A(よい行動をしたけど、もし自分の不利益が含まれる結果だったらの仮定。2段階目の仮定。)との比較」だからです。AとBの枝分かれがあり、その下に1と2の枝分かれがある2段階。
下のAの2です。
【Aの1】:よい行動をして、よい結果・・・典型的ポジティブ教材
【Aの2】:よい行動をして、悪い結果(自分の不利益を含む結果)
【Bの1】:よい行動をせず、よい結果(一時的には利益を含む結果)
【Bの2】:よい行動をせず、悪い結果・・・典型的ネガティブ教材
(2)教材の分類、及び、「もし」発問の分類
道徳教材には【Aの1】、【Bの2】しかないですが、【Aの2】、【Bの1】の場合だって実生活には結構あるのです。だからこそ弱い心に負けそうになる。
「けれど、本当にそれでいいのか。目先の利益にとらわれているのではないか。」というところを揺さぶって考えさせる、それによってより深いところまで考えさせることができるのではないかと感じています。
例えば、「SL公園で」で、「注意しても聞いてくれないかもしれない。さらに言い返されるリスクもある。それでも注意する方がいいの?よさは何?」は【Aの2】です。
(仲の良い友達だから喧嘩になっても後で分かってくれるだろう、どうにか説得しようとしないといつまでも説得する力はつかない、自分はできるだけのことはしたと後悔しない、言い返されても危険から命を守る方が大切、などの意見が期待できる。)
他の例では、「もし女の人が来なかったら、注意しなくても誰もしらかれないし、何も起こってなかっただろう。それでも注意する方がいいの?」です。これは【Bの1】です。「注意しなかった」行動Bの後に「もし女の人が来なかったら」という仮定が入ることで、一時的には利益を含む結果1になります。
(先のことを考えると、危険な遊びを繰り返してしまい、いつかは大怪我になる。決まりを守らずいつかは大迷惑をかけてしまう。仲の良い友達が決まりを守らない行動を繰り返さないようにした方がよい。自分にしかできない。などの意見を期待。)
こう考えてくると、一言に「ネガティブ教材」と言っても、分類できると分かりました。
①大失敗、バチが当たって大後悔タイプの【大失敗して気付いた型ネガティブ教材】(例:1年「かぼちゃのつる」「オオカミ少年」) と、
②【小失敗して気付いたネガティブ教材】(例:3年「SL公園で」のように、途中で何かがあって、本当の失敗には至らずにすんだ、そして自分の至らなさに気付かされた)
とがあり、
さらに言えば、①②の延長に
③【前回よい行動ができず、それを元によい行動ができたポジティブ教材】(例:1年「ダメ」、2年「おれたものさし」)
④【葛藤を経て、失敗前に気づいたポジティブ教材】(例:1年「それっておかしいよ」、2年「わすれられないえがお」「全校遠足とカワセミ」))
とがあるのです。
そして、
⑤【葛藤なしによい行動ができたポジティブ教材】があるのか、そして、それはどう扱うと効果的か、今後考えてみたいと思います。
整理すると、教材や結果の分類を、教材分析や発問作りに活かせそう、というこです
【善悪の判断】などの教材でいうと、こんな授業が、自分の中での典型例になりそうです。
導入で自分の生活と本時のテーマを関連づける。
展開で
①まず、「なぜよい行動ができなかったのだろう」で、【心の悪魔】本音部分の「人間理解」、
②また、葛藤でもう一方の【心の天使】よい行動をしよう!という心の理解。(心の綱引きで整理)
③そして、「よい行動をするよさ」【Aの1】、「できない場合の悪さ」【Bの2】の整理。
④さらに、「よい行動をしたけど結果が悪い」【Aの2】、「よい行動をしなくても困らない」【Bの1】の場合もあることを引き合いに出して、揺さぶり、深める。
終末に自分の生活と関連づけて振り返る。
クラスにはいろいろな発達段階の子がいます。③④は難しい、④は難しい、という子もいます。けれど、④で揺さぶられ高まり愉しさを感じる子もいるはずです。
各々が道徳的諸価値についての理解を少しずつ深められること、
少しでも道徳性を養い高められることをめざしていきたいと考えた、土曜の朝です。真面目!けど少しスッキリ!
…いやいや、今度の公開授業の教材「おれたものさし」や、それ以外の教材、内容項目で再考してみなきゃ!