多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

気が合う人、教育について語り合おうぞ!学習ソングも作曲中。

「学び」のパラダイムシフト…コンピテンシーベースの教育をオンラインでも教室でも

 

しばらくオンライン授業のことばかり考えていましたが、

分散登校の指示が文科省からありましたので、おそらく勤務校もそうなるでしょうから、

今後は、いかに分散登校を円滑に進めるか、

何を学校でして、何を家庭でさせるかについて考えたいと思います。

 

田舎の小規模校は、そもそも人数が少ないので、普通に毎日通学して授業を進めていけるのでしょう。

そうでない学校は、

クラスを半分に分けて1日おき又は午前午後で分けて登校させた場合、

同じ授業を2回して、多めの家庭学習をチェックして評価して、、、

 

これは、

在宅勤務で教材研究どころではない。できることを今のうちにしておかなければ大変なことになりそうです。

 

ということで、ブログ更新はほどほどにしておきます!

 

さて、けれども、この数日、オンライン授業のあり方を自分なりに探ったことは、無駄ではありませんでした。

感染者が増加すると休校になるでしょうから、もちろんその時のために準備しておかなければなりません。

 

それ以外に、です。自分への気づきです。

自分は、オンラインツールで、漢字や計算の決まった課題を出しそれをチェックするだけのことはしたくないのだと分かりました。

もちろんそれがないよりはあった方がモチベーションの面からも心のつながりという面からもよいとは思います。

けれど、私は、「本当の学び」を子どもたちと一緒にしたい、つくりたいのだと、改めて気付きました。

 

www.kyobun.co.jp

 

アナログ的な行為を単にデジタルに置き換えただけでは、その「学び」のパラダイムは本質的に同じであることを自覚すべき

 

そんな社会にあってSociety3.0の社会を生きる資質・能力を育むのに有効だった一律・一斉の子供を受動体とする授業はもはや通用しない。だからこそ、新学習指導要領はコンピテンシーベースの学びの重要性を訴え、その実現に向かう具体的なアプローチとしてアクティブ・ラーニングを提唱した。

はたして今、まさに行われようとしているオンライン授業は、新しい学習指導要領がその具現化を目指す子供たち一人一人のコンピテンシーを育むものとなり得るのか。コンピテンシー、特にGrit(やり抜く力)と自己調整の力の育成に向かうオンライン授業こそが求められている。到達目標があり、それを達成させるために知識と技能を授ける昭和・平成の授業をオンラインで行うことから、いかに自己調整の力を育む「学び」の場としてオンラインを活用するかが問われている。

コンピテンシーベースの教育を、オンラインでも、教室でも。

新指導要領の考え方を、我々は意識しているのか。

 

 

 

 

 

そして、風越学園はこんな風に進めているんだと。スタッフ自身が自由の相互承認を実践している。

 

 

この記事にはかなり刺激を受けました。

マクロな視野で展望しながら、目の前のことに向き合いたい!!

 

 

 そして、Eテレの中ではこんなのが好きなんだと分かった。

www.nhk.or.jp

 

www.nhk.or.jp

私がオリジナル学習歌を作るのも、

覚えることを効率化して、

そういう「学び」の時間を生み出すため。

 

 

現実的なオンライン+α授業を探る

withコロナ社会、休校長期化が現実的となり、

学校として、どう子どもたちの学習権を保障するか、

考える毎日です。GWだけど。

 

プリントや課題を与えて、復習+新出の内容を学習することを続けていっても、

できる内容が限られ先に進みにくいし、モチベーションが上がらない子はいるし、理解定着のための助けが打ちにくい。

 

生活リズムを整えることや、先生や友達とのつながりの確保という点も考えると、

なおさら、

 

①紙だけでない「画像や動画、音声」、

②時刻を決めての配信「リアルタイム性」、

③何かしらの「双方向性」

 

が必要だと思います。急に完璧にはできないとしても、

他の自治体を参考にして、決して進んでいるわけではない本校でも何とかできるとも思います。

 

もちろん、各家庭のICT環境には差があります。

さらに、1年生、6年生を優先して登校させようとか、分散登校させようとかいう指針が、文科省から近々出ます。

つまり、我々に求められているのは

「デジタル+アナログ」「環境差に対応」の「ハイブリッド学校」「フレキシブル学校」です。

 

昔、電話がない家庭があっても学級連絡網はあって、

そんな家庭には走って行って伝えていたらしい。

電話がない家庭があるから学級連絡網をやめようという話にはならず、どうにかした訳です。

現在も同じ。オンライン環境や、保護者が子どもの学習にかけられる労力や時間に、差があっても、何とかそれを補いながら進めるしかないのだろうと思います。

 

しかも、教職員も在宅勤務で出勤できない日があります。

中には、園や学校に行けない子どもの面倒を見なければならない、私のような人もいるわけです。

それでも試行錯誤し進めていけるようにしなければなりません。

何からどうすればいいのでしょうか・・・

 

まずは、職員の会議や情報伝達をデジタルで行う環境を作るべきだと思います。

例えば、Googleのアカウントを一人ひとりに与え、

メールやチャット、スレッド、音声通話、ビデオ通話、ビデオ会議などができるようにし、それを必要に応じて使い分ける。

 

個人パソコンがない職員も実際にいますが、たいていのものはスマホでもできます。マルチプラットフォームのものを使えば、これは早々に実現可能でしょう。

といいつつも、幹部は目まぐるしく変わる状況に忙しい。だから、幹部以外で

「チーム」をつくる。

「教職員のデジタル環境構築チーム」「児童の学びの保障方法を探るチーム」

リーダーを中心に、情報収集、試行錯誤を重ね、幹部に提案する。

そうでもしないと、全てが後手後手で遅くなります。

 

できれば市単位でそうしてほしいところ。

 

今私は、個人でできる情報収集をしておいて、提案できるように準備。微力ですけど。

いてもたってもいられない性分でして^^;

フェイスブックのこのグループが大変参考になっています。

www.facebook.com

 

娘と散歩してきます。

 

つづく

 

2年生道徳(東京書籍)7の教材研究「わすれられないえがお」 

7「わすれられない えがお」【善悪の判断、自律、自由と責任】

 

勤務校の今年度の重点項目2つのうちの1つが、この【善悪の判断、自律、自由と責任】です。1丁目1番地ですね。

私も秋にこの項目で授業研を行いますし、同僚はこの項目、この教材で6月に1人1授業を行いますから、気合を入れたいところです。が、早速いろいろ悩んでいます。

 

人がいっぱいのバスの中で、突然バスが乱暴に揺れておばさんの足を踏んでしまった、せいこ。

 

むっとしているみたいでとてもこわそう。(このまま、だまっておこうかな。)

バスが動き出す。(どうしよう。)

その時、お母さんがいつも言っていた、「わざとでなくても悪いことをしてしまったら謝るのよ」という言葉を思い出す。

もう一度おばさんを見るが、相変わらず怖そう。

でも、「ごめんなさい」思い切って言ったせいこ。

(怒られるかな)

ところがおばさんは見る見る素敵な笑顔に。胸の中がすうっとした。

30年近くたった今でもそれを忘れることができないとのこと。つまり回想です。

 

葛藤、わかりませんけど、わかります。(笑)

【わからない】というのは、大人になった私は、足を踏んでしまったくらいだったらすぐに「あ、すみません!」と何もためらわずに謝れるからです。

【わかる】というのは、娘が、このようなことが起こった時に、なかなか謝れない場面を幾度となく見てきたからです。例えば、友達にぶつかってしまった時。食べ物を落としてしまった、手がお母さんの目に当たってしまった、ジャンプして車を降りたらお母さんの顎に頭が当たってしまった。。。「わざとではないからこそ、(わざとではないけど、痛かったでしょ、ごめんね!)ってすぐに謝ればいいんだよ。わざとではないのだし、相手もすぐに『いいよ』と許してくれるよ」そんな話を何度も何度もしてきましたが、なかなか言えないものなのですね。(友達には言っていると言っていますが。)相手が私だからでしょうか。

やっと最近になってすぐに「ごめんね」と言うようになりました。しかし、「早く謝らなきゃ怒られる」というような感じなのです…私の伝え方がまずかったかなと反省しています。

(特に、お古のスマホで動画を見ていて落とした時に、「壊れるよ!高いものなんだよ!」と私が大きな声で言うからだと思います…すぐに「ごめんね」と言います。汗)

 

もう1つ【わかる】のは、怖そうな知らない年長者が相手なら、どんな話でも話かけづらいということです。

同級生同士でも、そこまで親しくない異性に対してだと言いにくいという子もいます。給食当番を、何らかの事情で代わりにやってもらった時に、「ありがとう」とか「ごめんね」とか一言言えばいいのですが、それをせずにトラブルになるというようなことがあります。相手によるところが大きいのですね。

 

・・・と、「謝る」ということについて思い当たることを書きましたが、今回の内容項目は

「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行うこと。」

 

です。

2の【正直、誠実】ではないです。でも、かなり関連が深いですよね。

(この「関連項目」というのが私の中で何かモヤモヤするところなのです。だから整理できないけれどこの際あえて書いてみます。)

 

指導要領解説を見てみると、1には

「物事の善悪について的確に判断し、自ら正しいと信じるところに従って主体的に行動すること、自由を大切にするとともに、それに伴う自律性や責任を自覚することに関する内容項目である。

(中略)

「よいこと、正しいことについて、人に左右されることなく、自ら正しいと信じるところに従って、誠実かつ謙虚に行動する…」

「特に価値観の多様な社会を主体的に生きる上での基礎を培うために、…」

とあります。自分に正直に生きる、つまり誠実に生きるということを含んでいますよね。

さらに2には

「自分自身に対する真面目さ」

「伸び伸びとすごそうとする心のすがすがしい明るさ」

 とあります。これもまさに1の「自ら正しいと信じるところに従って」と重なりますよね。

また、9【礼儀】にも関連していると思います。

「気持ちのよい動作などに心掛けて、明るく接すること。」

まさに主人公に求められているのはこれです。「ごめんなさい!」とお辞儀。

解説の9【礼儀】中学年のところですが

「人に頼むときや失敗して謝るときなど人との関わりを通して、真心は相手に態度で示すことができることに気付かせる…」

とも書いてあります。

 

ちなみに【正直、誠実】の教材文は2年生ではこの教科書では「金のおの」が30に出てくるだけです。「正直のよさ」が主題ですね。

それと【礼儀】は20「あいさつっていいな」で学習します。

 

こう書いてみると、何となく分かりました。

 

まず、 「各項目はこんなにも関連している」ということです。

…当たり前といえば当たり前ですかね!!特に1【善悪の判断、自律、自由と責任】については。【善悪の判断】の「善悪とは何か」は、以降の各項目の例えば【規則の尊重】だったり、【正直、誠実】だったり、【節度・節制】だったり、【礼儀】だったり【公正、公平、社会正義】だったりする訳ですものね。

(解釈が間違っていたらご指導ください。この部分以外でもです。)

 

でも、あくまで主題は1で、「よいこと わるいこと」なので、導入は

「すぐに謝れたことがありますか。謝れなかったことがありますか。」ではなく、

「正しいと思ったことをできた時はどんな時?できなかった時はどんな時?」

であり、振り返りも

「正しいと思ったことをしてよかったことはありますか。どんな気もちでしたか。」

ですね。

(工夫の余地はもちろんあると思います。事前アンケートで理想と現実のギャップを浮き彫りにするなど。また、振り返りをタイムマシーンに乗って過去か未来へ行けるとしたら、自分に何と言うか。など。←これは昨年度の同僚の実践です!)

 

基本発問では、指導書には「役割演技」と書いてあるけれど、「ごめんなさい」というまでの場面で台詞や行動はあまりないので、動作化か、

それか、心のペープサート「こころん(仮称)」「ゆらりん(仮称)」を 左右2つの間で代表の子に動かしてもらって(教師の音読に合わせて)

  「謝ろう」 ・・・♥・・・ 「謝れない」

   (ころころ…  ゆらゆら…)

「どんな気もちなの?」「どうして?」など尋ね、引き出す。

人間理解ですね。

お母さんが一部始終を見ていたらそのプレッシャーもあってもっとすぐに謝る気もちが強くなっていたとは思うのですけどね。それがなくて完全に自分の判断に任されている。完全に試されていますね。意見には価値の高低が入り混じりそうですね。

THE・他者理解。

「謝れない」…(謝りたいけど、怖くて声をかける勇気がでない。)

       (謝らないでも何とかなりそう。)(バスのせいだし。)※

 

「謝ろう」…

(謝らないと「こういう時は謝るもんだよ」と注意されそう。)

(お母さんの言うとおりだ。謝らなきゃ。)

(謝った方が、おばさんはうれしい。)

(自分もすっきりする。)→出るかなあ

(わざとでなくても、おばさん痛かったよね、ごめんなさい。)→出ないよなあ

 

仮にこう尋ねたらどうでしょう。

「(上記※のように、)もし謝らなくても、おばさんは『バスが急に揺れたのだから仕方がない。それに、子どもだから、特に年上には恥ずかしくて謝りにくいだろう』と、分かってくれると思うよ。きっと怒らないよ。だから謝らなくてもいいのでは?」

 

「わざとでなくでも謝ること」の是非、価値を、子どもたちに尋ねてみたい。

「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行うこと。」

 の後半部分【よいと思うことを進んで行う】がこの教材文の主題だと思いますが、

前半部分【善悪の判断】も低学年ではわざわざ書いてある重要な部分。ならばそれも問う必要があるのでは??と私は思うのです。

そしてその基となる【礼儀】【正直、誠実】の価値理解 も当然必要なのではないかと。

 

この(仮)発問で揺さぶれば、挙手等で各児童の立場をはっきりさせた後にだれでも発言できそう。

(わざとでなくても、おばさんは痛かったんだから、謝るべき。)(謝った方が、おばさんはうれしい。)とか、(いや、謝らなくてもおばさんは大人だから気にしない)とか、(子どもでも謝るべき)(勇気を出せば謝れる)(だって僕も謝ったことあるもん)とか、

(おばさんもすっきりするし、自分もすっきりするよ。)などなど

 

発問3の「おばさんの笑顔を見て、せいこはどんなことを思ったでしょう。」につながる発言が引き出せるのではないでしょうか。

(やっぱり謝ってよかった!)(胸がすうっとした)(早く言えばよかった)(怒られなくてよかった)

 

その他、時間が許せば子どもたちと話し合ってみたいことは、

 「なぜ、30年も忘れられないのだろうね」

運動会でもない、学習発表会でもない、数分間のちょっとした出来事なのに…

 

(それだけドキドキしたからかな)(モヤモヤ悩んだからかな)(その結果、ちゃんと謝れて、すごくうれしかったからかな)(褒められた気がしたからかな)(おばさんの顔が本当に恐ろしくて、それが素敵な笑顔になったからかな)

(自分で考えて、自分で言えたからかな)

 

…正しいと思ったことを、自分で判断して、自分でできた。

 → すっきり。 自信がつく。

 

おっと、結局、他の内容項目ではなく、この項目で落とし所が見つかりました。

 

 

そして、こう考えていくと、最後の振り返りは

「自分に『すっきり♥バッジ』『自信アップ★バッジ』をあげるとするなら、いつ?どんなとき?」

 

過去の自分に。

思いつかなければ、これからの自分に、「これができたらバッジあげるよ」というのでもいい。

 

2年生初期なら、こんな楽しい振り返りも大いにありだと思います。

 

 

 

2年生道徳(東京書籍)6の教材研究「ありがとう、りょうたさん」 

6「ありがとう、りょうたさん」 【個性の伸長】

 

低学年の内容項目は

「自分の特徴に気付くこと。」

 

振り返りで、指導書に載っている「友達のよいところを『あなたのよいところカード』に書いて伝え合う」の活動は、それなりの時間が必要となる。

しかも、できればそれを行った後で、気付きを書きたいところ。

「私にもいいところがあった!」

 

・・・でも、5月に、(しかも4月の半分以上が休校。今後の見通しも立たない。)

友達のよいところ、書けるかな・・・

1年の時に同じクラスだった子のことは分かるかもしれないけれど。。。

まず教師が、全員のいいところを自信をもって言えるかな。。。

もしどの友達も何も書いてくれないという子がいたら、教師が絶対に書いてあげる必要があると思うので、

この教材文は、もう少しクラスが熟してからがいいと思います。

 

 

そして、7月?9月?それくらいにこれを学習するとして・・・

とにかく授業前半はかなりコンパクトにしなければ。

読み聞かせしながら挿絵とキーワードを提示し、それぞれの特徴を整理し・・・

 

その前に、事前アンケートで「①今までに他の人から言われたことがあるよいところ」について尋ねる。

「②自分で思う、自分のいいところ」ではないんだな。

どちらも書かせてみたいけれど・・・

事前では①にとどまり、終末にその他のいいところが、他薦自薦問わず出て広がれるようにすればいいのかな。

「おにごっこがとにかく大好き」等でも十分いいところだと思うから、そういうのも含めて、授業前に比べて広がれば、「自分の特徴に気付く」ことができるかな・・・

 

そして、道徳科として、教材文で気付かせたいことは、何なのだろう。

2場面で「他の人の特徴が、自分を支えてくれること」、

3場面で「自分の特徴が他の人の役に立つこと、それはうれしいこと」だろうか。

 

指導要領解説にもある

「自分を取り巻く人々や学校での友人などとの関わりを通して徐々に気付いていったりもする。」

「長所と思われる特徴をよい方向へ伸ばし続けていると、そこからまた別の長所が生まれてくることもある。…」

 これについて当てはめてみると、

 

「りょうたさんの『ていねいさ』は、『やさしさ』になり、『探し物名人』『整理整頓名人』になった」ということだろうか。

 

発問1、2で端的に「ゆっくりていねい」のマイナス面を整理し、共感を促し、

中心発問の3で、役割演技を通して、価値理解。

「自分のよいところが、役に立つ → みんなうれしい」

「よさが分かると うれしい」

「よさは よさを生む」

2年生道徳(東京書籍)5の教材研究「いそいでいても」 

5「いそいで いても」【礼儀】

 

「挨拶は、相手を大切にすること」

「挨拶をすると、自分も相手も気持ちがいい。自分も周りも明るくする」

そんなことに気付けるには…

 

ほぼ指導書どおりでいこうと思います。

導入の「(題名の)『いそいでいても』の後にどんな言葉が続きますか」

題名を使うアイデア、いいですね!5年「心のレシーブ」を思い出します。

 

だから、終末もこれに立ち返って発問したいと思います。

「たくやさんが気づいたことはどんなことだろう」

「いそいでいても(    )。だって、(           )。」

 

 

それと、中心発問で、問い返しをして揺さぶりをかけて深めたいと思います。

「少しでも早く先生に伝えた方がいいのでは?鍵を落とした子が早く見つかってその子が喜ぶから。」

(鍵を落とした子の気持ちももちろん大切だけど、ノックや挨拶をしなかったら、先生はびっくりする。イライラするかも。)

(職員室は先生が仕事をするところだよ。急に入ってはいけないよ。)

(鍵を落とした子もうれしいし、先生もうれしい方がいい。)等

「それなら、後から『急に失礼しました』って言えばいいのでは?」

(先に言った方が嫌な気持ちにならないよ。)

 

これならどの子も自然に主人公の気持ち、気付きを述べたり書いたりできそうな気がします。

 

そして、発問2での「動作化」。役割演技と動作化は今年の私のテーマの一つでもあります。

この場合、鍵を見つけて「だれかの家の鍵かもしれない」と言い、大あわてで職員室にいくところから動作化して、「ちょっと待って」と言われるところまでするようになりますね。「ちょっと待って」と言う役が教師でしょうね。役割演技と違って、全員でやるのが動作化ということでしょうか。

 

楽しみです。

 

板書は、指導書の例は視覚的に捉えづらいと思うので、

「会話文」と「挿絵」を順に提示し、吹き出しのようにして心情を書きたいと思います。

 

学習指導要領解説より抜粋

「礼儀とは、相手の人格を尊重し、相手に対して敬愛する気持ちを具体的に示すことであり、心と形が一体となって表れてこそ、そのよさが認められる。…」

 

 

以上、慌てて相手の話に入り込んで要件を伝え、後から「失礼しました」となりがちな私の考察でした。相手への敬意も足りないし、それを形で示す大切さも足りないのかもしれない、と、自己を見つめる機会となりました。

…そういえば、こんな自分の話を授業の最後にするのは、どうでしょうかね。

「価値を温める」ためには、価値のよさが具体的に表れるエピソードの方がよいと思いますが…

 

あ、職場の先輩で、理想とする姿を体現されている方がいらっしゃるので、その方の話をするのがいいかもしれません!

♪ひらめき~~~~

 

書きながら思考が深まるとはこのことですね。

2年生道徳(東京書籍)4の教材研究「大すきなフルーツポンチ」 比較・吟味

4 「大すきな フルーツポンチ」【公正・公平・社会正義】

指導要領解説には「民主主義社会の基本である社会正義の実現に努め、…」「真実を見極める社会的な認識能力を高め、…」「人間の弱さを乗り越えて、自らが正義を愛する心を育むようにすることが不可欠…」と書いてあり、重みのある言葉が並んでいるなと感じましたが、決して大げさではなく大切な項目であると再認識したところです。

 

指導書の導入が「公平という言葉を知っていますか」だったので、

2年生1学期には難しいのでは?と思ったけれど、

教科書の主題名のところに書いてありました、「だれにでも こうへいに」と。

確かにこれをきっかけに語彙を広げながら本時の主題を掴ませるのもいいと思いました。

 

教科書右下の「はじめに」には「みんながうれしくなるのは、どのようにしたときでしょう。」と書かれています。この問いはどうでしょうか。

これだと(みんなで遊んだ時)とか(みんなと仲良くした時)とか(仲間はずれにしない時)とか、幅広い声が返ってきそうです。

「みんながうれしくなる」ようにしたい、というのが本時で気づかせたいことだと私は思うので、私は前者の導入にしようかなと思います。

 

みんなが大好きなフルーツポンチを配る役の「ぼく」。

♡以前の失敗を繰り返さぬよう、足りなくならないように気をつけながらよそい始める。

♥目の前にいる、仲良しの しゅんたさん には多くいれてあげたいと思った。

♡けれどその時、もしも足りなくなったらどうしよう、と思った。

♥そうだ、文句を言わないけんちゃんのをちょっと少なくしようと考えた。

そしてしゅんたさんの器にたくさん入れたのです。

 

よそう前、よそう間のたった数秒の間ですが、心が揺れ動いていることがよくわかります。これを視覚化したいです。

 

中心発問は指導書どおりでいくと「どうして『ぼく』はしゅんたさんにたくさん入れたのだろう」です。

「ぼくはどんなことを考えていたのだろう」という内側発問ではないけれど、内側に近いです。

ここで、表面的に教科書の記述をおさえるのではなくて、主体的に考え、しっかり共感して、人間理解が深まるようにするにはどうしたらいいのか…と悩んでいます。

 

今の所、「『ぼく』はあれだけ気をつけて配っていた。一生懸命ですごいよね。なのになぜ多くいれようとしたのだろう」「しかも一度『足りなくなったらどうしよう』と思ったのに、なぜやっぱり多く入れてしまったのだろう」と追加で問おうかと思います。

 

発問3の「(どうしてしゅんたさんのだけそんなに多いの、という)かおりさんの声を聞いた『ぼく』は、どんなことを考えただろう」では、主人公の気持ちを通して、個々人の考え、価値の高低入り混じった意見が出てくると思われます。

(バレた)(みんなに怒られる)(先生に怒られるかも)

(ごめんなさい)(やっぱり同じ量にしよう)

(ほかの人が嫌な気持ちになるな)

(仲良しだからって多くしたらいけないな)(みんなが笑顔になるように配りたい)

(しゅんたさんにも嫌な思いさせたかも)

(伝わってはいないけど、けんちゃんにも申し訳ないな)(けんちゃんにかわいそうなことをするところだった)←ここは結構大切だと思います。

・・・いえ、こんなに幅広く意見は出ないと思います。どうすれば出るのでしょうか。

 

「かおりさんの声を聞いて」ではなく、

教科書には書いていない場面を想像、創造して、

「その後、『ぼく』は大好きなフルーツポンチを食べる時も、えがおいっぱいにはなれませんでした。どんなことを考えていたのでしょう。」とするのはどうでしょうか。

「~~~。だって、~~~だから。」というように、理由も書くようにしたいと思います。

発問3の方が中心発問ですね。

 

そして悩みは続きます!

ここで意見を出し合うだけでも、多面的・多角的な見方につながるとは思いますが、

比較・吟味させてより深めたいのです。

参照↓

shochandoeeeesu.hatenablog.com

「似た意見はどれ?」と問い、グルーピング、ラベリングすることで整理できるとは思うのですが、それ以外ではどうでしょうか。

 

「一番納得したのはどれかな」「それはどうして?」

 

代案としては

「心から反省しているのはどれだろう」

「みんなのことを考えているのはどれだろう」

「多く入れた時に比べて、気持ちが一番変わったのはどれだろう」

でも、これらの言葉が子どもたちから出てくるほうがいいから、前者にします。

 

「だれにも公平にすることは、どんないいことがあるのか」という発問(価値理解)は、今回は上の発問に代えます。

 

振り返りは、私の好きなパターン「自分の中に『誰にも公平にする心』がありましたか。」例えば、給食、靴そろえチェック、配りもの、ペア・グループづくり、あいさつ、発表を次にする人の指名… 思いつかない子が多い場合は、みんなで出し合ってその中から選ぶようにします。

本当は、逆に、「公平にすることが難しかったこと」についても話し合ってみたいところですが、これは普段の生活場面の具体的な場面で考えていくことにします。

 

私自身はどうだろう…

2年生道徳(東京書籍)3の教材研究

3 「ひかり小学校の じまんはね」【よりよい学校生活、集団生活の充実】

 

改めて学習指導要領と解説を読むと、

〔第1学年及び第2学年〕 先生を敬愛し,学校の人々に親しんで,学級や学校の生活を楽しくすること。 

…中略

(中学校) [よりよい学校生活,集団生活の充実] 教師や学校の人々を敬愛し,学級や学校の一員としての自覚をもち,協力し合ってよりよい校風をつくるとともに,様々な集団の意義や集団の中での自分の役割と責任を自覚して集団生活の充実に努めること。

とあり、「私は敬愛されているかな」と振り返った。笑  そして

児童は、まず、教師に対する敬愛の念をもち、

 

学級での生活における充実感を味わい、

 

そのことを通して学校への愛着をもつようになる。

 

そして、自分を支え励ましてくれる学校の様々な人々へ目を向け、感謝と敬愛の念を深めていく。

 

 特に低学年は教師の影響力は大きいと。確かに。

教師への敬愛が起点となって、敬愛→充実感→学校への愛着→周囲への感謝と敬愛 という「敬愛と愛着のループ」が膨らんでいくのですね。

 

ということは、この教材文でも、「学校のよさ」だけでなく「校長先生のよさ」にまず目を向け、主人公たちの先生に対する敬いと憧れに気づかせたいと感じた。

「校長先生の話を聞いた時、けんたたちはどんなことを思っただろう」

 

そして、中心発問は指導書の代案が思いつかないのですが、

早めに「本校のよいところを見つける」活動に入るとして、

その前にぜひこれを投げかけてみたいのだが、いかがでしょうか。

 

「よさがわかるよさって、何だろう」

 

難しいですかね。

「よさがわかる とは、(      )」

の( )を空白に当てはまる言葉を考える。

私としては、「よさがわかるとは、好きになること」(愛の法則)と思うのですが、

子どもたちはどう考えるかな!

 

 

特活ともかなり深く関わる内容項目でした。

【よりよい学校生活、集団生活の充実】の根底は、愛、よさの発見。

2年生道徳(東京書籍)1~2の教材研究

同じ第2学年や道徳教科書で、関心のある方、ぜひ一緒に研究しましょう。

長い教員生活ですが、道徳は特にわからないことだらけです。

ご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

 

時間の関係上、ただ思いついたことを箇条書きにします。ご了承ください。

 

1 「じぶんで オッケー」【節度、節制】

・2年生になって、『自分でできるようになったこと』がある人?それはどんなこと?

・とも子さんはどんなことが自分でできたかな。お話を読んでみよう。

・とも子さんはわすれものをしないように決めたんだね。

・先生のお話を聞いて「わたしはもう始めちゃってるもん」と言っているとも子さんのことをどう思う?指導書と同じ発問。(自分でやってないじゃん。お母さんにやらせてるじゃん)…自分でできているつもり、子どもたちにも私にもありそうだなあ。そんな共感や人間理解はここでは必要ないのかなあ。いきなり外側発問だと批判的な見方だけになってしまいそう。

・最後のとも子さんは最初と同じ?どこが変わった?

(自分で全部確かめた、早めに支度した、自分で車に気をつけると言っている、お小遣いも大切にすると言っている)(★★→★★★)

・本当に「自分でできることが増えた」んだね。けど、それって、そんなにいいことなの? 揺さぶり 価値理解

・・・まだお母さんがやってくれるのならその方が楽でいいのでは?

・・・お母さんにしてもらった方が、間違いがなくていいのでは?

(自分でできるってうれしい。)(慣れれば楽、普通になる。)

(いつかは全部自分でしなければならなくなるからそのために少しずつ。)

(頼って急いで出発するままだったら、事故に合う。)

(お母さんが助かる。)(たまに間違えてもそれも勉強。)

(2年生なのにこんなこともしてもらっているとかっこわるい。人に笑われる。)(お母さんに怒られる。)(おもちゃが買ってもらえなくなる。)

 →あえて外側発問するより、指導書どおりとも子の心情「とも子はどんな気持ちからそう言ったのでしょう」の方が無難かもしれませんが。

・あなたの中に「自分でできることを増やしたい気もち」はありますか。どんなことを自分でできるようになりたいですか。 (記述)

・振り返り 1よく考えた 2楽しくできた

項目は指導書どおりだけど、3段階にしたいです。授業評価のためにも。

 

 

 2 「くまくんの たからもの」【親切、思いやり】

・「思いやり」って、どんなことだろう。

・思いやりがあることをしたことがある人。

・くまくんとねずみくんが出てきます。くまくんはどんな気持ちなのか考えながらお話を読もう。

・・・・と考えたけど、指導書どおり「みなさんはこの新しいかばんをどんな宝物でいっぱいにしたいですか。」の方が、くまくんの宝物を大切に思う気持ちに共感しやすく、それを踏まえて捨てる時の気持ちを考えやすいかもしれない、とも思います。

・くまくんは宝物でかばんがいっぱいになってどんなことを思っていただろう。

・くまくんはどんなことを考えて、「ええい」と思い切ってかばんをさかさまに振ったのでしょう。ワークシートに書く。

(ねずみくんを助けるためにはこうするしかない)(大切な宝物だけど、ねずみくんを助けたい)(仕方ない)

 

・・・でもよく考えると、くまくんは何よりも自分が穴から外へ出るためにもそうするしかなかった。そして、宝物といっても、どんぐり等はまた拾いにいけば手に入るものである。だから、状況としては、そうするのは当然といえば当然なのでは?

そう考えてしまうのは私の心が汚れているせいでしょうか(笑)

仮にこれを発問にしてしまうのはいかがでしょうか。

 

 ★「くまくんは自分も穴から出たかったんだからどんぐりを捨てたのでは?本当に思いやりがあるの?」 ハート♥のカード大と小で視覚化、比較

(いや、つるを降りて助けにいくだけでもすごいよ)(自分のことだけ考えたのではないよ)(あーあとか、くそとか、宝物への未練や文句を少しも言わなかったから、思いやりがあるよ)(くまくんにとっては宝物だったから、捨てるのはすごく勇気がいることだよ)

 

・ねずみくんからどんぐりを1つもらったとき、くまくんはどんな気持ちだったのかな。(びっくりした。うれしかった。)

・でも、宝物は1つになってしまったんだよ?それなのにどうして? 

 最後の場面を役割演技。「まだあたたかいどんぐりをかばんの中にしまいました。そしてこころの中で言いました。『1つでも、これは、とくべつなたからものなんだ。』」

 

少し間を置いて、「1つでも?」「どうして?」と教師が問い、続けてその時の心情を言えるようにする。

(ねずみくんのうれしい気持ち、ありがとうがこもっているから)

(助けたねずみくんがくれたものだから)

 

「見ていて、くまくん役の子はどう思っているように見えた?」と聴衆に聞く。

・・・いや、それでは「あたたかい」「心もあたたかい」を共有することにはつながらない。

・・・役割演技については、特にもっといろいろな事例を見たいです。

 

実は、以下の発問もしてみたいと思いましたが、振り返りの時間の確保のためやめておこうかと思います。このお話はあくまで1つのどんぐりを受け取った話。

・それなら、もし、ねずみくんからどんぐりを1つももらえなかったら、くまくんは悲しんでいたかなあ?

(いや、それでもねずみくんを助けられたから、よかったと思うだろうよ)(うれしいことが2人の宝物)

 

こちらの発問はどうだろう。

 

・心が温かくなったのはだれだろう。

→ねずみくん。くまくんも。 そして、読者の私たちも。

 

・かばんも、心も、宝物でいっぱいになったね。(え?)

「思いやり」という宝物で。

 

・振り返り  あなたの中にも、こんな「相手を思いやる気持ち」があったかな。だれへの思いやり?どんな時に?書いて教えてね。

 

 

♪あったかいんだからあ~~

 

本校で現実的なオンライン授業とは

文科省から4月21日付けで通達が出ました。平常時のルールにとらわれることなく、あらゆる手を使って子どもの学びを支援しようというものです。

https://www.mext.go.jp/content/20200421-mxt_kouhou01-000004520_6.pdf?fbclid=IwAR3Mhgr8srQZ83wLQh-9DcqucAcl2e2ZCXSYI2CFyFsGO_I3VMDhHLMyfgw

 

そこで改めて「オンライン授業」「ネット活用」について考えてみました。

 

熊本市にいる姪っ子の小学校では、

 

ロイロノート スクール

https://n.loilo.tv/ja/

 

これでまず「健康観察」をしているそうです。

ビデオチャットではなく、自分の画像を撮って先生に送信。

画面には参加したクラスメイトみんなの画像が見える。

 

次に、その日の学習課題のお知らせが来て、終わったら「終わりました」と書いて送信するらしいです。

高学年は、テレビのサブチャンネルで流れている放送を見て、感想を書いて送るという課題もあるらしいです。(どんな放送かはまた調べてみます!)(前学年の復習なのか、新学年の内容なのかも気になる。)

 

とりあえず1年間無料(半年に1回レポート提出の条件はあるが)。

それに、HPに

「先生は永久無料

ロイロノート・スクールは、生徒数による課金制度を取らせていただいているため、教員のみで使っている場合は永久に無料で使い続けられます。

と書いてあります。

 

本校のiPadにもアプリが入っている。ということは、ひょっとしたらもう学校IDがあって教師は使えるのかも・・・

今日は在宅勤務の日だけど、出勤して試したい・・・

いや、情報担当者も在宅勤務だった。

とりあえず動画で予習します。熊本市のものです。

ロイロノート:カードの送信

www.youtube.com

 

 

まず教員同士で「健康観察」「連絡」用途から使ってみるのもいいかもしれません。

休校が終わってからも授業で役立つことだし。

例えばこちら。

全教科でロイロノート活用、主体的・対話的で「深い学び」を実現するクラスここにあり!

 

www.youtube.com

 

 

ちなみに「ロイロノート スクール」とは違う

「ロイロノート」のアプリは前からiPadに入れて何回か使ったことがあるけれど、まずカード作成の基本に慣れるにはいいと思います。

 

Twitterで「ロイロノート」で検索してみたらいろいろでてきました。

https://twitter.com/search?q=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88&src=typed_query&f=live

中高生や保護者の生の声があふれていますね~

 

ところで、

中学生の姪は塾のオンライン授業を受けているとか。

ベネッセなども無料オンライン授業しているとのこと。

予想どおり、企業の方が何歩も先を行っていますね…

 

フェイスブックで「オンライン授業」で検索してヒットしたグループを覗いてみたら、

Googleのサービスについて、高校での活用の実際と、実際に私達も試してみることがでkるノートを見つけました。

note.com

あとで試してみますが、

ざっと見た感じ、小学生には難しそうですが、中高生にはかなり有用そうですね!

 

https://support.google.com/a/answer/139019?hl=ja&ref_topic=9001238

https://support.google.com/edu/classroom/answer/6020279?hl=ja&ref_topic=7175444

無料ってこと?!すごいなあ

 

【はじめてのGoogleClassroom #1|教師 & 生徒編】クラスを作成してみよう

 

www.youtube.com

 

 

朝活終了、また書きます!

発問力 加藤宣行先生「2わのことり」

数年前ですが、明治図書データベースで見つけた加藤宣行先生「2わのことり」発問構成の記事に感化されました。

www.meijitosho.co.jp

 

(途中引用)

道徳授業の「発問」の課題として、いかに心に響かせるか

逆に言うと、子どもたちの心に響かない実践が多いということ

「やまがらの気持ち」は考えなくてもある程度予想がつく。

 ぐさっと刺さります。そう。そう思い、それを打破しようと2年前に一人一授業でこの教材で授業をしたのですが、挑戦的な構成にしたものの、深まりは理想とは程遠いものでした。

(ちなみにその際の指導案と考察を恥を忍んで掲載します。今見ても青さを感じます…)

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仕方なくやまがらの家にいったのではないか。

この話の中から友達をさがそう。

違いは?

みなさんは誰と友達になりたい?

なぜ?

…ここまでくれば「友達にやさしくしましょう」という言葉掛けは無意味

目からウロコとはまさにこのことです。

こういう発問を構成できるようになりたい!!

これを意識して在宅勤務中に教材研究したいです。

 

そして、「1 発問とはどうあるべきか」この章にも惹かれました。

1ページ10円とは何とお買い得。ぜひご賞味あれ。