多趣味おばちゃん 小学校教員のメモ

気が合う人、教育について語り合おうぞ!学習ソングも作曲中。

2年「『かむかむメニュー』」東京書籍 学活的?

【節度、節制】です。

学活的な授業になりました…

子どもたちはものすごく自分ごととして捉え、始終真剣だったし、話し合いも活発だったのですが…

 

テーマ【けんこう】

導入「けんこうって何?」

「けんこうにいいと分かっていても、なかなかできないことは?」

早寝 ゲームをしすぎない 姿勢 勉強(?) などなど 

 

基本発問「主人公は、悪い夢を見たとき、どんなことを思っただろう」

気持ち悪い 破裂する! 死にそうだ よく噛まずに食べたからだ 今度からはよく噛むよ 

 

主発問兼揺さぶり「でも、よくかまなかったせいでお腹が破裂した話は先生は聞いたことがありません。だから、少なくとも先生は、今日の話では、よく噛もうとは思えない。また速く食べてしまいそう…。

健康に気をつけて過ごせる『こつ』は何だろう。」

 

C「つまりやすい」「痛くなりやすい」「歯やあごが強くなる」「『味がよくわかる』って書いてあるよ」

T つまり、「『噛むよさ』をもっと分かる」ということだね

 

C「忘れないように、書いて貼っておく」

「がんばる。努力する。」

「他の人が『よく噛もう』と注意する」

T なるほど、よさを分かっているけどつい忘れてしまう場合は、そうすればいいね。

 

 

そして、教師の説話として、「そういえば、噛んだら少しの量でもお腹いっぱいになるから、太りにくいとよく言われている。私は最近お腹まわりがブヨブヨになったから、よく噛まずに食べようとしたら『噛めば太りにくいよ』と思い出そうと思います!」

と話しました。

 

・・・すると、子どもたちは食い入るように聞いたのです。授業終盤で集中力の切れかけている子も「先生、机に書いて貼っとき」等と言う(笑)

教師の説話の威力、半端ないです。

これは、今後の授業、そして道徳セミナー公開授業でも積極的に取り入れたい!

指導案には入れていないけれど・・・

  

振り返りは「今日の授業を通して、自分にとって大切だと思ったこと」を書く。

 

そして、先週から始めた下の2項目を三段階で自己評価

①いろいろな意見を聞いて考えたか(☆マークの中に◎○△を書く)

②自分のこととして考えたか(♡マークの中に◎○△を書く)

 

 

「噛むための対策」のアイデア出しのようになったのが「学活のような授業」と感じる理由です。

そうでないようにする代案は思いつかないのですが、

例えば、

主人公が、よく噛んで食べるようになった後で、先生に褒められ、「味がよく分かる」と新たな「噛む良さ」に気付いたところに着目し、

「よく噛んで食べない悪さ」を知る

→よく噛んで食べる

→そのうちに新たな「噛む良さ」に気づく

→より一層「よく噛もう」と思える

ということに気づかせ、

生活の具体的なこと(導入の発問に対して出た意見など)を、それに当てはめて考えてみる、というのはいかがでしょうか。「やってみるとさらによさに気づく」ということに当てはめて考える。

・・・2年生には少し難しいですかね。

 

悩みながらも楽しんでいる現場からは以上です。

内容項目を読み直す19 生命の尊さ 20 自然愛護 

D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関すること

19 生命の尊さ

〔第1学年及び第2学年〕 生きることのすばらしさを知り,生命を大切にすること。

〔第3学年及び第4学年〕 生命の尊さを知り,生命あるものを大切にすること。

〔第5学年及び第6学年〕 生命が多くの生命のつながりの中にあるかけがえのないものであることを理解し,生命を尊重すること。

(中学校) [生命の尊さ] 生命の尊さについて,その連続性や有限性なども含めて理解し,かけがえのない生命を尊重すること。

 

20 自然愛護

〔第1学年及び第2学年〕 身近な自然に親しみ,動植物に優しい心で接すること。

〔第3学年及び第4学年〕 自然のすばらしさや不思議さを感じ取り,自然や動植物を大切にすること。

〔第5学年及び第6学年〕 自然の偉大さを知り,自然環境を大切にすること。

(中学校) [自然愛護] 自然の崇高さを知り,自然環境を大切にすることの意義を理解し,進んで自然の愛護に努めること。

 

 通知表では「生命尊重・自然愛護」と、まとめて1項目となっていますが、

道徳科の指導要領では別項目なのですね。

恥ずかしながら、私、認識が甘かったです。

 

19は「命」「生命」、20は「自然」。

 

19の中学校での目標が「生命の尊さについて,その連続性や有限性なども含めて理解し,かけがえのない生命を尊重すること。」だから、小学校も「生命の連続性や有限性など」の理解を、直接求める訳ではないけれど、教師は意識しておかなければならないと思います。

それにしても、「生命の尊さ」とは、何だろう。

 

祖父が戦争で亡くなっていたら、私も父も、いとこも、生まれていなかった。(連続性)

亡くなったら、我が子の代わりはいない。自分の代わりも。(かけがえのないもの)

お金やお祈りや、最新医学でも、どうすることもできない。

元には戻らない。

寿命というものがある。永遠には続かない。(有限性)

生命誕生の神秘。ものすごい確率で、その人がその人としてつくられ、このお腹で育って生まれてきた。そこから育っていくのも神秘。(神秘性?)

 

死にたくないと思っている人もいれば、死にたいと思っている人もいる。不思議。

 

死んでもだれかの記憶の中に生き続ける。だれの記憶からも忘れられる時が本当の死?映画「リメンバー・ミー」 本当の死とは?生とは?

生きるって何?

生きるために何かをするのか、何かを為すために生きるのか。

人類を繁栄させるために生まれたのか。

「生きがい」というけれど、それがもしなければ生きている甲斐はないのか。

1・2年生の「生きることのすばらしさ」って、何だろう。

 

…普段、当たり前で考えないこと考え、感じないことを感じる時間にできたら、それがいいのかもしれない。

 

 

 

 

「命」といえば、6年生の東京書籍の教科書掲載「命の重さはみな同じ」を思い出す。

https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/shou_current/doutoku/themeleaflet/page03.html

 

低・中学年では「人間の命」、この教材では「人間以外の命」に広げてあります。

 

となると、【20 自然愛護】と重なります。人間以外の命のことは、1年生から毎年のように学びますから。

それとこれとは、どう違いを出して授業を行うべきなのだろうと、自分の中で整理できていません。

 

 

 

話は変わります。

 

「命の重さはみな同じ」といいながら、

民法】ではペットは「有体物」つまり「もの」であり、殺傷した場合は【刑法】の傷害罪ではなく器物損壊罪にあたる。

法的にも区別がある。

 

児童への虐待は、【児童虐待防止法】、【児童福祉法】、【刑法】が規定する

暴行罪、傷害罪などの犯罪行為にあたるが、

動物の虐待は【動物愛護法】に規定されている。

やはり、人間とその他とでは決定的に違うというようにこの社会はできている。「生類憐れみの令」が取り沙汰されるのは、それ以外の時代にはそんなことはなかったからだ。

 

「生きるってすばらしい」「命は大切」「生命尊重」・・・

大切にしたい自分の心と体、人生。

愛されている自分。愛する人がいる自分。

その上で、他の人の命も人生も大切、と思えるような気がする。

だから、行き着くところは、「愛」「自己肯定感」なんだろうなあ。

 

私は今、そう感じているだろうか。(はい。)それはいつから?(うーん、しみじみそう思うのはわりと最近かもしれません。)

 

 

【20 自然愛護】について

自然。これもまた、神秘。母。海。大地。奇跡。

「すばらしさ、不思議さ、偉大さ、崇高さ」

【畏敬の念】と重なる。

【生命】も【自然】に含まれる。でも、あえて別項目なのだ。

 学年が上がるほど、環境保全的な意味合いが濃くなるからかな。

 

 

…毎度ながら、とりとめもなく書きました。

 

 

 

 

同じ内容項目で学びを深めていくには

子どもの姿を見ていて、道徳授業にも算数のような「積み重ね」があるといいなあと感じることがあります。

一昨年、1年生を受け持ち、壁面に「道徳コーナー」という掲示(授業記録)を作っていくということを全校での取り組みの一つとして行っていたのですが、

今ひとつそれが活用できなかった、というのが、大きなきっかけです。

 

その後、新しい研修主任のもとで受けた研修で、

「同じ内容項目が年に2つあったら、2つ目は応用的なものとして、NHKの動画のようなものを活用するという手もある」ということを学び、「もやモ屋」と「Q」をみんなで視聴したことが心に残りました。

 

本年度2年生では、帰りの会などで、何回かその「道徳コーナー」について子どもたちがつぶやくのを聞き、その活用の手応えが多少なりあります。

 

11月に予定している道徳セミナーの公開授業でも、本年度では2回目の【善悪の判断】の授業ということで、そのあたりを意識した指導案にしています。

 

しかし、導入での活用も、終末での活用も、しっくり来ません。先月末の受指導でも、代案を、とご指導していただきました。

 

とりあえず、その教材のことばかり考えるよりも、広く他の教材での授業を考えていこうと切り替え、ふと見つけたのがこのページです。

東京書籍

例えば【親切、思いやり】では、

1つ目の教材では,自分よりも相手を優先して親切にすることについて考え、

つ目の教材では,親切にすることはみんなの幸せにつながるということを学び、

3つ目の教材では,親切にするときに「相手の立場を考える」ということを学びます。

 

朱書きの指導書を読まなくても、

以前の教材文、場合によっては前学年の教材文を読み、

それとの違いに目を向ければ、自ずと本時のねらいが定まり、「積み重ね」ができる気がします。子どもたちも相違点や類似点に気付きそうです。

 

これを踏まえて、【善悪の判断】などその他の内容項目や教材についても考えていきたいと思います。

shochandoeeeesu.hatenablog.com

とりあえず本日はここまでです。

2年「まいごになった赤ちゃんくじら」【自然愛護】

備忘録

1 体育の後の空腹の4時間目。ぼーっとしたり、寝たりする子がいました。。。反省。

2 それでも、終末で、私自身が撮影した「生き物、自然ってすばらしい、やさしくしたい」と思った場面の写真を見せると、子どもたちは一気に身を乗り出し、「僕もね、・・!」と盛り上がりました。

今後も、「『自分の日常を振り返る』前に、教師の説話で写真等を見せながら教師が自己開示して例を示す」ということをしていきたいです。

3 葛藤がない教材文をどう使うか、悩みました。

導入、終末を長めにしました。

 

T「生き物・自然にやさしくする」って、どういうこと?

C 大事にすること、好きになること

 

T 大事にするって、例えば、どんなものに、どうすることだろう?

C ・・・

 

T 生き物って、例えば、何?

C カブトムシ、カミキリムシ、ちょう、犬、・・・

 

T では、自然って例えば何?

C 森、山、川、海、木、花、草、  地球! 宇宙!

 

T ではそれを大切にするってどういうことだろう。

C 絵を描く 切りすぎない とりすぎない ごみをすてない

 

T このお話を描いた人、越智さんは、水中カメラマンで、こんな写真を撮った人だよ。自然が好きなのかな、好きではないのかな。

C 大好き。

 

T こういう生き物や自然の写真を見たら、みんなはどんな気持ちになるの?

C すてき 感動!

T ということは、絵もだし、写真を撮る仕事も、「自然を好きに」「大事に」するということなんだね。

 

では、このお話の中から、生き物や自然を大事にする気持ちを探してみよう。

 

(朗読)

 

T あれ?「生き物にやさしい仕事」って言っていたけど、

越智さんがボートで近づいたから赤ちゃんくじらがついてきてしまって迷子になった。だから、越智さんって、「生き物にやさしく」ないのでは?

C う~ん・・ いや、やさしいところもある。(挙手 半々) 

 

T 赤ちゃんくじらが迷子になったことに気付いた越智さんは、どんなことを思っただろう。ワークシートに書いてから話し合う。

C まずい! 死んでしまうかもしれない! 早くお母さんを見つけないと!

 責任をとらないと。 

(「協力して!」は、書いていた子がいたけれど、私の見取りが甘く、発表できなかった。)

 

T 無事にお母さんクジラと会えた赤ちゃんクジラを見た時、越智さんはどんなことを思っていただろう。

C 会えてよかったなあ ほっとした 赤ちゃんうれしそうだなあ お母さんも嬉しそうだなあ 死ななくてよかった

 

(T 「生き物にやさしくする気持ち」は、このお話にあったかな? どこに?

C 越智さんの、助けよう!という気持ち。

  他の船の人たちの、助けよう!という気持ちも。

・・・この発問を失念していた。反省。) 

 

T  「生き物・自然にやさしくする」って、「死なせたくない」「助けたい」という気持ちをもつということなのかもしれないね。

 

説話・振り返り

T みんなもそういうことがあったかな。

先生はね、ついこの間、あったよ。

(うさぎの赤ちゃんの写真、家から撮影した夕焼けの写真を見せる。)

夏休みにうさぎの世話をしに言ったら、生まれたての赤ちゃんがいてね・・・

どうにか生きてほしいと思って、でも、触ったら親うさぎが嫌がるから、見守った。

ラビットフードより好物な葉っぱをつんできた。親うさぎがうれしそうに食べる姿を見て、「たっぷりおっぱいをやるんだよ」と思った。大切にしたいと思った。

「自然」でいえば、家から見えた夕焼けがきれいで感動した。上は夜の藍色で、下に行くとオレンジで、山の陰が黒くて。空ってすばらしい、きれいな空を大切にしたいと思った。

 

 

みんなもそういうことがあったかな。ワークシートに書こう。

または、これから、こんなふうにしていきたいということを書こう。

 

C せみを逃してあげたよ。

  今度は、弱る前に、虫を逃してあげたいと思った。

  魚がきれいだと思った。

  自然がすきになった。

内容項目を読み直す17 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度

17 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度

〔第1学年及び第2学年〕 我が国や郷土の文化と生活に親しみ,愛着をもつこと。

〔第3学年及び第4学年〕 我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,国や郷土を愛する心をもつこと。

〔第5学年及び第6学年〕 我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,国や郷土を愛する心をもつこと。

(中学校)

[郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度] 郷土の伝統と文化を大切にし,社会に尽くした先人や高齢者に尊敬の念を深め,地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し,進んで郷土の発展に努めること。

[我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度] 優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに,日本人としての自覚をもって国を愛し,国家及び社会の形成者として,その発展に努めること。

 

 

C 主として集団や社会との関わりに関すること 

を見てみると、

12 規則の尊重

13 公正,公平,社会正義

14 勤労,公共の精神  

ときて、

15 家族愛,家庭生活の充実

16 よりよい学校生活,集団生活の充実

17 伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度

18 国際理解,国際親善

と続きます。「18 国際理解,国際親善」の項目に「愛」の文字はないけれど、「8 感謝」の中学校のところに「人間愛」とあるから、

結局、全部愛せよ、ということなのかなあ。

8 感謝

〔第1学年及び第2学年〕 家族など日頃世話になっている人々に感謝すること。

〔第3学年及び第4学年〕 家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に,尊敬と感謝の気持ちをもって接すること。

〔第5学年及び第6学年〕 日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し,それに応えること。

(中学校) [思いやり,感謝] 思いやりの心をもって人と接するとともに,家族などの支えや多くの人々の善意により日々の生活や現在の自分があることに感謝し,進んでそれに応え,人間愛の精神を深めること。

 

 

 

 

そもそも「愛する」ってどういうことだろう。

低学年では、「親しみ,愛着をもつ」とあり、

中・高学年では「大切にし」「愛する心をもつ」とあり、

中学校では「郷土の伝統と文化を大切にし,社会に尽くした先人や高齢者に尊敬の念を深め,地域社会の一員としての自覚をもって郷土を愛し,進んで郷土の発展に努める」「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに,日本人としての自覚をもって国を愛し,国家及び社会の形成者として,その発展に努める」とある。

 

小学校の「愛する心をもつ」と、中学校の「愛する」というのにも差がある感じがする。

どう違うのだろう。

地域社会、国家の一員としての自覚をもって、発展に努めるところまでするのが「愛する」ということだと言いたいのかな。

では「愛する心をもつ」というのはどういう状態のことだろう。

 

好きと思う」ということなのだろうか。

…少し違う気がする。そんなに単純なものではない気がする。

家族にしても、故郷にしても。

 

例えば、私の親の実家周辺。

すばらしい自然。冬の星空、霜が降りた草原、静かな朝と鳥の鳴き声、

夏の田んぼ、春の新緑、秋の紅葉と寂しさ。

あけびや梅もぎ、金柑、わらび、なつめ、栗、たけのこ。四季の味。

けれど、限界集落になりかけている。バスも電車もない。中学校もない。子育てするには躊躇する。

自然も、すばらしさもあるが、鳥獣被害で畑の作物を作るのは大変。

だから、好きかと言われれば、はいとは即答できない。

けれど、好きか、そうでないかでは表せないものがある。

大切にしたい思いはある。先祖が代々住んできた歴史、「重み」がある。

 

 

学校アンケートなどに「この地域が好きですか」という項目がある。

これまではそれを疑ってこなかった。「好き」という数字が増えればいいと思っていた。

けれど、本当にそれがよいのかと、ここにきて気付いた。

 

高学年、中学生にもなれば、遊ぶ場所が近くにたくさんあってほしいと思うだろう。

自分もそうだった。だから、田舎に対する評価は下がって当然だ。

 

学校が少ない。高校も少ない。進学校はない。大学もない。

だから、若者が出ていって当然。

 

 

いろいろな地域を知り、大人になって、「ああ、大人が『いい』と言っていたのはこういうことだったんだ」

「あの頃は当たり前で気付いてなかったけど・・・」とか、

「事情があって住めないけれど、大切にしたい場所」

「故郷に誇りをもっている」

と言えるような人が増えたらいいのかな。

いや、それもエゴなのかな。

 

ただただ、「懐かしいな」「たまには帰りたいな」「自分にとっては、特別な場所」と思う、それだけでもいいのかな。

 

わからなくなってきたので、一旦筆を置きます。

 

 

話は変わって、

先日あった研修の講師、温品賢二校長先生のお話の中で心に残ったことの1つ目は、

 

郷土愛を考える際に大切にしたいのは、
「好き」かどうか、「いいところがある」かどうかではなく、

「自分がどう関わったか」であるということ。

 

 

2つ目は、

「教師が自分自身の〇〇観を見つめ直す」ということ。

つまり、今回であれば、自分自身のふるさと観を見つめ直す。

実際、校長先生がご自身のふるさととそれとの関わりを熱く語られた。

 

私にとってのふるさとは を今この機会に考えてみる。

私は勤務校近辺で生まれ育った数少ない教職員の1人でもある。

 

かつて大嶺町にまだ産婦人科があったころ、そこで生まれた。

伊佐小も大嶺小も400人くらい児童がいた時代だ。

ブランコに砂場、鉄棒、滑り台、自転車練習、野球、サッカー、ドッジ、花火と、小さい頃から高学年まで、しょちゅう遊びにいった児童公園、伊佐川、まだ魚屋も肉屋も駄菓子屋もあった伊佐の町、スポ小で毎日使った小学校の校庭と体育館が私のホームだ。

夏の思い出といえば「十七夜」。昼間は子供会でお神輿をかつぐ。夜は親戚が集まって大賑わい。もらった小遣いで、薄い硬いお菓子を削るやつ(何というのかは不明)をやる。児童公園から打ち上げ花火を見るのが毎年恒例だった。

今の「まるき」は昔は「エポック」という商業施設で、できたてだった。私の叔父らが中心となって、いろいろな催しを開いていた。土曜夜市。子ども綱引き大会。

美祢駅前の「桜まつり」のカラオケ大会に友達と4人で出て、ミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。グループ名は「Ice Box」(笑)。当時発売されてヒットしていたから。うちに集まって、カセットテープかけて練習していた。懐かしい。

 

スポ小で練習したり試合をしたりした勤務校の校庭や体育館。古びたけれど、変わらない。体育館2階で大嶺の友達と話したことまで覚えている。

スイミングもわざわざ1時間かけて小野田まで行っていた。今思えば不便だった。けれど、そのバスの中が楽しかった。その友達の子どもや姪っ子甥っ子さんたちが、勤務校に今まさに通って来ている。そっくりだ。

 

高校は美祢の外を見たくて、長門に行った。向津具の海で素潜りでウニをとってその場で食べた夏。友達のお父さんが作ってくれたパエリア。お祖母様の芸。毎日乗った美祢線。MDウォークマン。自転車で坂道を下りながら歌った、ゆずの「夏色」。海を見ながら口ずさんだスピッツの「渚」。仙崎の花火大会。漁港の匂い。部活、生徒会、文化祭、藤光とタッグを組んで行った100メートルのちくわ作り。懐かしい。

長門は第2の故郷。

 

大学は、山口の外に行きたくて、広島へ。語り尽くせぬ思い出。仲間。

広島は第3の故郷。

 

初任地は周南。11年いた。当時は一生住み続けたいと思っていた。店も、新幹線も高速もあって便利だし、少し行けば山も海も川もあった。フットサルチームもリーグもあったし、教員仲間も知り合いもたくさんできた。自分の車で走り回った地。語り尽くせない思い入れがある。特に5年勤務した鹿野小。作った「潮音洞」の歌は今でも音楽祭で毎年歌っているとか。

周南は第4の故郷。

 

そして6年前に実家のある第1の故郷に帰ってきた。

美祢市と旧美祢郡が統合する前には、旧美祢郡は美祢というより山口市という感覚だった。実際に、幼少期はあまり行ったことがなかった。だから、私にとっては、秋吉や美東は「故郷」という感じではない。

私にとって第1の故郷は、「伊佐」「大嶺」+祖父母宅周辺という感覚であり、同郷の仲間といえば「旧美祢市人」だ。

もちろん、今、そのような区別はしたくない。けれど、私が育った、育ててくれたのは「旧美祢市」という感覚があるということだ。

 

そして、一去年だろうか、大嶺小出身者で、私の同級生らが、「I AM MINE」という団体を作り、地域を盛り上げる活動を始めた。去年の夏、勤務校の玄関で、秋山さんにばったり会い、「〇〇さんですよね。秋山です。」と言われた。当時の面影が残っているそのお顔でピンときた。「明日、曲づくりするので来てくださいね」とのこと。

行ってみると、同級生の懐かしい顔がたくさん。隣の小学校だったとはいえ、結構分かるのが田舎。

暑い体育館で、ミュージシャンと共に、「ふるさととは?」のワークショップ。子どもたちが大判用紙に書き出す。昼からは、プロが整えた歌詞と、プロが作ったメロディーに合わせ、音楽室でレコーディング。私も娘と参加。

10月、さくら公園で野外フェス開催。CDになって手元に届いた。11月には、学校の特技発表会でそれを歌う児童もいた。

今は市街に住んでいる人もたくさんだが、それでも故郷で何かしたいという熱い思いを目の当たりにした。

 

家庭の事情で市外に引っ越した私だが、できれば故郷の教育に関わって働きたいという思いがある。

これが私の故郷への思いの一つだ。

 

こう見てみると、私にとって故郷、ふるさととは、やはり特別なもの、かけがえのないものだ。第2,3,4の故郷もだが、やはり第1の故郷は格別だ。だれにとってもそうだろう。

なぜ格別なのだろう。

「住んでいた場所」、特に、「小さい頃に育った場所」だから。

「小さい頃」というのは格別なのだろう。人生のうちのたった十数年。

けれど、あの頃は、今に比べれば時が何倍も長く緩やかに過ぎていた。

その毎日を、繰り返す当たり前の毎日を生きたのが、故郷。

 

まだ他地域に住んだことがなく他と比べられず、そこしか知らない。まさに「当たり前」の毎日。

 

そしてまだ無垢だった幼少時代に過ごした場所だから、どこか神聖なもの、特別なものに感じるのだろうか。

 

なぜ「懐かしい」と感じるのだろうか。懐かしいって何だろう。

第2、3の故郷に比べてそれ以前のことだから、懐かしいと感じるのだろうか。

普段そうそう思い出さないことの方が懐かしく感じるのだろうか。

いい思い出は「懐かしい」というけれど、悪い思い出はそうとは言いにくい節があるのは私だけだろうか。

 

・・・「ふるさとあるある」。

同郷だという人に会うと、それだけで親近感がわく。それだけで好きになるかもしれない。

ニュースで故郷の名前が出ると、とっさに見る。気になる。

ほっておけない。第2、3、4の故郷についても。応援したくなる。

たまには帰りたくなる。そんな歌がありますね。(いきものがかり

 

 

そして、「住めば都」とはよく言ったものだと思う。

結局、住んできたところは、どこにも思い入れがある。

切っても切れぬ、腐れ縁とでも言おうか。

「縁」。 

 

 結論は出ないけれど、前よりは「郷土愛」について自分なりに見つめられました。

運動会の意義と目的 学習指導要領解説より

この度、改めて「学習指導要領解説 特別活動編」を読みました。

下線、赤字は私によるものです。

 

(特別活動の目標(全体目標))
 集団や社会の形成者としての見方・考え方を働かせ,様々な集団活動に自主的,実践的に取り組み,互いのよさや可能性を発揮しながら集団や自己の生活上の課題を解決することを通して,次のとおり資質・能力を育成することを目指す。
(1) 多様な他者と協働する様々な集団活動の意義や活動を行う上で必要となることについて理解し,行動の仕方を身に付けるようにする。
(2) 集団や自己の生活,人間関係の課題を見いだし,解決するために話し合い,合意形成を図ったり,意思決定したりすることができるようにする。
(3) 自主的,実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして,集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに,自己の生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う。

 

(学級活動の目標)
 学級や学校での生活をよりよくするための課題を見いだし,解決する
ために話し合い,合意形成し,役割を分担して協力して実践したり,学
級での話合いを生かして自己の課題の解決及び将来の生き方を描くため
に意思決定して実践したりすることに , 自主的 , 実践的に取り組むこと
を通して,第1の目標に掲げる資質・能力を育成することを目指す。

(児童会活動の目標)
 異年齢の児童同士で協力し,学校生活の充実と向上を図るための諸問
題の解決に向けて,計画を立て役割を分担し,協力して運営することに
自主的,実践的に取り組むことを通して,第1の目標に掲げる資質・能
力を育成することを目指す。

(クラブ活動の目標)
 異年齢の児童同士で協力し,共通の興味・関心を追求する集団活動の
計画を立てて運営することに自主的,実践的に取り組むことを通して,
個性の伸長を図りながら,第1の目標に掲げる資質・能力を育成するこ
とを目指す。
(学校行事の目標)
 全校又は学年の児童で協力し,よりよい学校生活を築くための体験的
な活動を通して,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養いな
がら,第1の目標に掲げる資質・能力を育成することを目指す。

 

1 学校行事の目標
 全校又は学年の児童で協力し,よりよい学校生活を築くための体験的
な活動を通して,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養いな
がら,第1の目標に掲げる資質・能力を育成することを目指す。

2 学校行事の内容
 1の資質・能力を育成するため,全ての学年において,全校又は学年
を単位として,次の各行事において,学校生活に秩序と変化を与え,学
校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うことを通して,それぞ
れの学校行事の意義及び活動を行う上で必要となることについて理解し,主体的に考えて実践できるよう指導する。
(1) 儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるようにすること。
(2) 文化的行事
 平素の学習活動の成果を発表し,自己の向上の意欲を一層高めたり,文化や芸術に親しんだりするようにすること。
(3) 健康安全・体育的行事
 心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等から身を守る安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵養,体力の向上などに資するようにすること。
(4) 遠足・集団宿泊的行事
 自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,よりよい人間関係を築くなどの集団生活の在り方や公衆道徳などについての体験を積むことができるようにすること。
(5) 勤労生産・奉仕的行事
 勤労の尊さや生産の喜びを体得するとともに,ボランティア活動などの社会奉仕の精神を養う体験が得られるようにすること。

 

 この「学校生活に秩序と変化を与え」,あるいは「体験的な活動」とは,他の教育活動では容易に得られない教育的価値を実現する内容としての学校行事の特質を述べたものである。特に,学校行事における様々な感動体験の場は,児童の心を育て,自己の生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を育む機会になるとともに,学級集団はもとより学年や全校の集団を育成し,よりよい人間関係を形成する上でも効果的な場となる
 また,この体験的な活動は,ともすると単調になりがちな学校生活に非日常的な秩序と変化を与えることから,年間を通して計画的に実施することによって,児童の学校生活にリズムを与え,節目を付け,より生き生きとした生活を実現することになる。
 「学校生活の充実と発展に資する」とは,児童が,他者と力を合わせて学校行事に取り組むことを通して,学校生活に満足感や充実感を味わえるようにすることである。また,そのような児童の積極的な参加によって,結果として学校生活がより豊かになるなどの充実と発展も期待される。
児童にとって魅力があり,楽しく充実した学校生活にするためには,学校行事の果たす役割が大きい。また,学校行事は,特色ある学校づくりを進め,よりよい校風をつくっていく上でも中心的な役割を果たしている。さらには,学校行事に参加したことや学級又は学校の一員としての役割を果たしたことなどが,自分への自信を高め,自己実現を図ることにつながったり,学校生活の楽しさや満足度に大きく貢献したりすることが多い。
 このようなことを踏まえ,児童一人一人にとって魅力があり,やりがいのある学校行事を展開するためには,児童が学校生活の充実と発展に資する体験的な活動に積極的に取り組むことができるようにすることが大切である。ここで示した「学校生活の充実と発展」は,学校行事だけで達成できるものではない。学校行事も他の教育活動と相まって小学校教育の目標の達成を目指すものである。したがって,学校行事に他の教育活動における学習や経験などを総合的に取り入れ,その発展を図り,効果的に展開されるようにする必要がある。また,各教科,道徳科,外国語活動,総合的な学習の時間及び学校行事以外の特別活動などの学習を充実したものにすることによって学校行事は成果を上げ,学校教育全体の調和を図り,真に学校生活を豊かな実りあるものにするのである。
 これらのことを踏まえ,学習指導要領には,全ての学年で取り組むべき次の五つの種類の内容を示している。

 

(3) 健康安全・体育的行事
① 健康安全・体育的行事のねらいと内容
 心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等から身を守
る安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責
任感や連帯感の涵養,体力の向上などに資するようにすること。


 健康安全・体育的行事のねらいは,次のとおり考えられる。
 児童自らが自己の発育や健康状態について関心をもち,心身の健康の保持増進に努めるとともに,身の回りの危険を予測・回避し,安全な生活に対する理解を深める。また,体育的な集団活動を通して,心身ともに健全な生活の実践に必要な習慣や態度を育成する。さらに,児童が運動に親しみ,楽しさを味わえるようにするとともに体力の向上を図る。
 健康安全・体育的行事においては,例えば次のとおり資質・能力を育成することが考えられる。
○ 心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等の非常時から身を守ることなどについてその意義を理解し,必要な行動の仕方などを身に付ける。また,体育的な集団活動の意義を理解し,規律ある集団行動の仕方などを身に付けるようにする。
○ 自己の健康や安全についての課題や解決策について考え,他者と協力して,適切に判断し行動することができるようにする。また,運動することのよさについて考え,集団で協力して取り組むことができるようにする。
○ 心身の健全な発達や健康の保持増進に努め,安全に関心をもち,積極的に取り組もうとする態度を養う。また,運動に親しみ,体力の向上に積極的に取り組もうとする態度を養う。
 健康安全・体育的行事には,健康診断や給食に関する意識を高めるなどの健康に関する行事,避難訓練や交通安全,防犯等の安全に関する行事,運動会や球技大会等の体育的な行事などが考えられる。

② 実施上の留意点

ウ 運動会などについては,実施に至るまでの指導の過程を大切にするとともに,体育科の学習内容と関連を図るなど時間の配当にも留意することが大切である。また,活発な身体活動を伴う行事の実施に当たっては,児童の健康や安全には特に留意し,日常の学校や家庭における健康管理,教師間の協力体制を万全にし,事故防止に努める必要がある。
エ 運動会においては,学校の特色や伝統を生かすことも大切である。ただし,児童以外の参加種目を設ける場合は,運動会の教育的意義を損なわない範囲にとどめるよう配慮する。また,児童会活動やクラブ活動などの組織を生かした運営を考慮し,児童自身のものとして実施することが大切である。その場合,児童に過度の負担を与えたり,過大な責任を負わせたりすることのないように配慮する。 

オ 各種の競技会などの実施に当たっては,いたずらに勝負にこだわることなく,また,一部の児童の活動にならないように配慮することが必要である。

 

(1) 学校の創意工夫を生かし,学級や学校,地域の実態,児童の発達の
段階などを考慮する
 学校行事は,各学校の創意工夫を生かしやすく,特色ある学校づくりを進める上でも有効な教育活動であるので,全校の教職員が共通理解を深め,協力してよりよい計画を生み出すようにする。具体的には,学校の教育目標や指導の重点,地域の特色や学校の伝統などから,行事の重点化を図るなど自校の実態に即した特色ある学校行事の指導計画を作成することである。
 例えば,学校の教育目標やその年度の指導の重点が「思いやりのある子供の育成」であれば,その具現化を図るために,各教科や道徳科等における授業の改善や学校生活全体での心の教育の充実とともに,道徳教育の充実を図る観点から勤労生産・奉仕的行事の充実を図ることも考えられる。このことによって,「思いやりのある子供の育成」に向けて児童の平素の生活態度の向上の契機とすることが期待できる。このように,学校行事の年間指導計画作成に当たっては,学校の教育目標の実現を図る教育活動の一つとして十分に検討することが大切である。

 

(2) 児童による自主的,実践的な活動が助長されるようにする
 学校行事の指導においても,児童が積極的に活動できるようにするため,事前・事後の指導について十分に留意し,指導の効果を高めるように配慮する。その際,学校行事の種類によって,児童の意見や希望も指導計画に反映させるとともに,児童の自主的な活動も可能な限り行えるよう配慮し,児童が楽しく参加できるようにする。
 具体的には,発達の段階や学校行事の内容によっても異なるが,できるだけ児童が活動意欲をもつことができるように,特に,児童会活動との関連を密にして,学校行事の一部を児童が分担し,自主的,実践的にその運営に参画できるようにすることが望ましい。しかし,例えば,児童の創造性や自主性などを考慮するあまりに,学校行事と児童会集会活動とを混同しないように十分配慮する必要がある。
 また,学級活動「(1) 学級や学校における生活づくりへの参画」の「ウ 学校における多様な集団の生活の向上」において,例えば運動会や学芸会などの内容の一部について,学級として取り組むことを話し合い,児童の創意工夫を生かすということも考えられる。その場合,行事に向けた単なる準備や片付けなどの時間にならないように十分留意する必要がある。

(3) 内容相互及び各教科,道徳科,外国語活動,総合的な学習の時間な
どの指導との関連を図る
 学校行事においては,第2に示す内容相互及び各教科,道徳科,外国語活動,総合的な学習の時間などの指導との関連を図ることが大切である。具体的には,特別活動の他の内容や各教科等で身に付けた資質・能力などを,学校行事においてよりよく活用できるようにすることである。また,学校行事で身に付けた資質・能力を各教科等の学習に生かすことである。
 特に学校行事は,平素の教育活動の総合的な発展の場であるため,日常の教育活動の成果が生かされるようにすることが大切である。したがって,学校行事の年間指導計画も,特別活動における学級活動や児童会活動及びクラブ活動,各教科,道徳科,外国語活動及び総合的な学習の時間などの年間指導計画と関連し合うように作成することが大切である。このような配慮によって,全体としての調和のとれた教育活動が展開されることになる。
 例えば,運動会や学芸会のテーマを道徳科の内容の「B 主として人との関わりに関すること」の感謝と関連付けて掲げて開催し,家族や地域の方々に対する感謝の気持ちを伝える工夫を取り入れた表現運動等を披露したり,感謝を題材とする劇や歌等を発表したりすることなどが考えられる。

 

個人的には、赤字にした部分「感動体験の場」という文言に惹かれました。

学習指導要領に「感動」という言葉がある。道徳科以外で。

 

コロナ禍で失われているものは、早く言えば「感動」なのかもしれない。

 

感動しよう、させようとして何かをするものではないとは思うけれど、

結果的に感動が生まれるような、児童の自主的・実践的な活動の場を、作りたい。

これまでどおりの運動会ができなくても。

 

しかし、そもそも、これまでの運動会やそれに向けた活動が、児童の自主的・実践的な活動の場だったのか。そうとは言い難いものが多く含まれていたと思う。それはこの機会に見直したい。

「おれたものさし」東京書籍2年【随時更新】2020/11/23

11月17日の道徳セミナーに向けて、授業の構想を練っています。

この夏休みにも指導案検討会が目白押しです。

 

指導案に載せたものも、そうでないものも、

発問も、疑問も、所感も、ここに載せて試行錯誤してみたいと思います。

 

○「よいと思ったことをする」よさ 大切さ

同じテーマで前回学習しました。6月に「わすれられないえがお」。

その時の気付きは「すっきり」「自分の成長になる」「勇気が大切」だったね。

今日の学習では、その気付きがどんなふうに進化(深化)するかな?

(この導入では、他の導入より問題意識が弱いとは思います。検討中です。)

 

(○代案1 事前アンケートで、「よいと思ったことをする」というのができた場面とできなかった場面を調べると、「友達のいじわるを止める、注意する」ことについて、できたことがある人は(例)50%で、できなかったことがある人は(例)70%だったよ。どうしてだろうね。今日の授業はまさにこれがテーマです。主人公の気持ちになって聞いてみよう。)

 

(○代案2 6月の学習では、「よいと思うことをする」というのは「謝ること」だったけど、今回はそうではないよ。どんなお話かな。→あえて導入で自分の生活を振り返らないパターン。物語に浸らせる。)

 

○(範読後)感想は?

・主人公は自分で渡せて、ひろしが助かってよかったと思う。

・のぼるは嘘をついて人のせいに何回もしたから悪いと思った。

  →○なぜひろしのせいにしたのかな。・言い返しそうにないから。気が弱そう。

・主人公は、よく渡せたと思う。すごい。

○ 主人公はすごいのか。

・本当は、この前自分がされた時に「ぼくが割ったんじゃないよ。」とはっきり言えるのが1番。主人公はそれができなかったから、すごくない。

○なぜ、何もできなかったんだろうね。

 …それは、急に自分のせいにされてびっくりしたし、訳がわからないし、きっと今回と同様、のぼるの仲間もはやしたてただろうから怖かっただろう。)

・前回、せめて先生に言えば今回のことは起きていなかっただろうに、先生に言わなかったから、よくない。

○なぜ、先生にも言わなかったのだろうね。

 …それは…なぜだろう…大切なことは先生に伝える雰囲気がクラスになかったのかな。言いにくい先生だったのかな。または先生が休んでいたとか。)

 

・もし言い返されたとしても、それでもいい。というより、今回はそんなことは考える間もなく「思わず」ものさしを突き返したのだ。(それほど「まただ!」「もう許さない!」という思いが強くなった。)

それがすごいと思う。

 

→ということは、「思わず」自分で伝えるのと、どうしようか悩んだ末自分で伝えるのとでは、すごさが違うのかな。もし後者だったらすごくないのかな。

 …どちらもすごいと思う。人にまかせず、そのままにせず、自分でやったから。

 でも、前者の方が、正義感が強い、心が正しい、きれいだと思う。

 後者は、自分で怖さを押し殺して伝えることを選んだ、勇気をふりしぼったから、強い心だと思う。)…時間不足。難易度高。

 

○前回は何もできなかったのに、今回は自分でできたのは、なぜだろう。

・前回は、自分がされた。今回は、友達がされて困っているから。

(→確かに、友達が困っているのにそれを見ているだけというのは心が痛む。どうにかしなきゃ!と思う。そういう時に勇気が出るんだね。

→けれど、それなら、自分が嫌なことをされて困っている時には、勇気が出にくくて仕方がないのだろうか。

・いや、「やめて」等と言えた方がいい。

 

・前回は、初めてだった。今回は、のぼるが同じやり方で人のせいにするのを見るのが2回目だったから。「折ったのは自分でしょ」と自信をもって言える。

 

主発問 ○どんなことを思って、今回、自分でのぼるに伝えたのだろう。

・折ったのはひろしじゃない。

・この前と同じだな。もう、人のせいにするのはやめるんだ。

・もう許せない。

・これはいじわるだ。

・ひろしがかわいそう。

・ひろしの代わりに、ぼくがやる!

 

○そうはいっても、怖い、言いにくいはずなのに、それでもなぜ自分で伝えたのだろう。

・ひろしがかわいそうだから。

・怖いなんて言っていられない、のぼるを今止めなきゃと思ったから。

 

○自分でなくてもだれか他の人が助けてくれるかもしれないよ。

 ・でも、待っていたらひろしがかわいそう。

 ・のぼるが人のせいにしていると知っているのは、同じことをされたぼくだけだ。)

 

後で先生に言うという方法もあるよね。このクラスでもそうする場合が結構あるよね。

それよりも、「自分で伝える」ことは、どんなところがいいのか。よさは何だろう。)(難しいか・・・)

・気が弱いと思われない。

・繰り返さない。

・すっきりする。

・自分がよいと思ったことをしたから、後悔がない。

・自分を信じて行動できた自信がつく。

(下の方の※に続く)

 

(★主人公の立場と、ひろしの立場と、のぼるの立場と、仲間や周りの子の立場と…分かれて考えてみる?いや、時間がない。)

 

 【2020/08/21追記】

○もし、自分で伝えなかったら、どうなっていただろう。

 ・誰かが先生に言う ・またのぼるが悪いことを繰り返す

・ひろしはおびえながら過ごす ・ひろしを後から慰める

 

○主人公は、自分で伝えて、伝わって、どんなことを思っただろう。

・よかった! ・ほっとした  ・すっきり

 

 【2020/08/22追記】

○そもそも、この話には、「のぼるが物さしを折った」とは書かれていないよね。本当にのぼるが折ったの?

・前にも、自分が割った下敷きを「ぼく」のせいにしたことがあるから、今回もきっとのぼるがやったと思う。

 

※○「自分で伝えてすっきりした」というけれど、実際には、言い返されることだってあるよね。それでも「自分で伝えてすっきり」と言えるのだろうか。

・言い返されても、自分は間違っていない。だから胸を張って過ごしていける。

・先生や友達もわかってくれる。

 

 ○振り返り

これから先、自分でよいと思ったことができない場面があるかもしれない。その時の「自分へのメッセージ」を書こう。

 

代案○自分で言えるようになりたい?なりたい度(1~5)は? (・・・検討中)

・私はなりたい!5! やっぱりかっこいいから。自分たちで止めた方がいいから。

・ぼくは…無理かも。でも、なりたい。4。

・私は先生に言えばいいと思う。その方がもめごとにならない。2

 

【2020/08/24更新】

疑問:教師の説話は 必要か。

話すとしたら・・・

例 先生も、保育園の保護者の集まりで、「今はもうちょっと静かにしましょう」と言えなかったことがあるけど、今度同じようなことがあったら言おうと思う。

 

【2020/10/26更新】

f:id:shochandoeeeesu:20201026044144j:plain

 

 

shochandoeeeesu.hatenablog.com

 

追記2020/11/23

研究授業、終わりました!

shochandoeeeesu.hatenablog.com

Twitterで学んだ道徳科 板書などなど

お盆休み9日間も、残り2日間。

道徳・特活の勉強や漢字絵作りはほとんど進みませんでした。が、

前半は実家でひたすら、子どものたまった動画のDVD化。疲れたけど、1~2歳の頃の娘の片言と動きのかわいいこと!写真を見るだけでは思い出せないものが蘇りました。そして、かけがえのない時間だったんだと気付かされました。

後半は娘と大掃除で達成感共有。そして久々の友達と3密を避けながらわいわい。

夜中の一人時間も音楽聞いたり映画見たり。

山口舞台の映画「チルソクの夏」で心が洗われました。

 

そんな中でも、やはり、秋の道徳セミナーに向け、自然に道徳のことは考えていました。本を持って歩く感じではなかったので、スキマ時間にスマホで。

以下、備忘録です。

 

 

最近の教具開発!

https://wadaobachan.hatenadiary.com/entry/2020/07/22/061826

wadaobachan.hatenadiary.com

 

 

 

漢字絵カード&プリントは、児童の意見と反応を加味し、改良してデータをアップします!

#特別支援でもそうでなくても !

 

悔しさ・喜び混ざる授業 道徳「ともだちやもんな、ぼくら」2年 東京書籍

久々に、色んな感情が混ざった授業となりました。

・想定を超えた子どもたちの意見への驚きと嬉しさ

・それなのに、それに十分対応しきれず、集約しきれなかった悔しさ

・ねらいの設定、教材研究が甘かった反省、悔しさ

・自分の対応力がまだまだだということへの悔しさ

・それでもそこそこは対応できた自負

 

去年、先輩が同じ教材文で授業していらした指導案があったので、それを参考にし、しかし自分のクラスの実態を加味して、自分の考えを入れて臨んだ。

 

導入:「なかよし」って、どんな人?

C:よく知っている人。いつも遊ぶ人。やさしい人。けんかしない人。けんかするけどすぐ仲直りする人。等

 

範読

 

そして、今回チャレンジしたのは、

温品賢二先生や久保田高嶺先生のように「まず感想を聞くこと」。

(道徳のどの字も分かっていなかった時代に自己流でやっていたことはありましたが)

T:「どんなことを思った?」

C:「はじめは悲しかったけど、最後はよくなってよかった」

  「これが本当の友達なんだなあと思った。」

・・・おお!2つ目でこれが出たか!!!

黒板の一番後ろに板書。

T:「へえ~なるほど~」「みんなはどう思う?」  反応 う~ん

T:「その、『これが』っていうのは、どんなことかなあ?」  C:う~~ん

C:「たすける」  「しんぱいする」 「ほうっておかないやさしさ」 うなずき

T:まだよく分からないことが多いから、少しずつみんなで考えてみようか。

 

T:「ぼく」はどうしてヒデトシをおいて逃げたのだろう

叱られて逃げた気持ち、ヒデトシがこけたのにおいて逃げた、「ぼく」のその気持ちには感じ取っていた様子だったので、早めに流し、その後、

T:「もし、そのままおいて行っていたら?」と問うて、

C:ヒデトシ:友達なのに・・・ 悔しい 悲しい どうして僕だけ叱られるの

 ぼく:おいて行かなければよかったと後で思う ヒデトシだけかわいそう ヒデトシが怒りそう

 客観視:ずっと仲直りできなくなる きずながなくなる

(視点が分散したので反省。「ぼく」目線でヒデトシの気持ちを考える方が良かった。)  

 

そして、

主発問「どうして、いっしょに叱られることが、友達を助けることになるの?」

C:辛さ、悲しさがやわらぐから。心が軽くなるから。うれしくなるから。

 

の予定でしたが、

「そもそも、いっしょに叱られることは、助けることになるの?どうして?」

と問うたせいもあり、「①なる!」「②ならない」の話になり、「③分からない」の子と3分の1ずつくらいの人数になりました。(赤白帽で自分の立場を表明)

 

そして、

C:「①なる。だって、自分の成長になるから」(←以前の「わすれられないえがお」(おばさんに謝った話)の時に、他の児童が言った言葉!) みんなの反応:??

T:「友達にとって、どんな助けになるのかな」

C:「②助けにはならない。だって、それは人として当たり前のことだから。」

「逃げること、友達をおいて行くことが すごく悪いこと」

「『助ける』というのは、こけた人を助けるとか、カットバンをあげるとか、保健室に連れて行くとか、そういういいこと」

と前に出て黒板を指しながら2人が説明し、大部分が納得した様子となりました。

 

そうきたか!と思いつつ、二人の説明に感動した私。

そしてチャイムが鳴ってしまいました。40分授業はあっという間。

とりあえず一旦終わり、「どう集約しよう・・・」

 

5分休みなのですぐ始まります。。 そして私は。。。

T:「黒板のここに、何と書こうか?」と子どもたちに投げかけました(笑)

 

C:「当たり前!!」

T:「けれど、それができない人もいるんよね。赤チーム(①助けになる)の意見も合わせると、どういうことなんだろう」

C:「当たり前。だけど、見捨てるよりはよっぽどまし。」

 

T:「『なかよし』って(    )こと」(ワークシートに書いていた発問。記入)

C:「いい」「うれしい」「見捨てない」「助け合う」

T:「一緒に遊ぶだけが『なかよし』ってことではないんだね」

 

T:振り返り「自分の これまで これから」(ワークシートに書いていた発問。記入)

C:ぼくはよく自分だけ逃げていた。これからは友達を大切にする。

 私はこれからも見捨てない。

 もっとなかよしになりたい。

 これからは見捨てない。

 やさしくしたいです。

 自分のためにも、友達のためにもなるようにしたいです。 等

 

 

う~む、

ねらいとしていた

「自分の『こわい』『叱られたくない』という気持ちよりも、『友達の気持ちを思う』を大切にするよさ」は感じられたと思うし、

「『仲良し』って、一緒に遊ぶのだけではない。つらい時に一緒に乗り越える。思いやる。→ 仲が深まる。→ 本当のなかよし」にも迫れたと思うけど、

 

何だろう、最後がモヤモヤ。

 

板書を見返して、印を付けながら、

「これ や これ が、最初にUくんが言っていた『これが本当の友達』ってことなのかもね」と言って、「いっしょに遊ぶだけではない」と書いて終わってもよかったかな。

 

「キーワード」を、こちらが、本命+アルファ、もっておかなければなあ。

 

まずは、主発問で、自分の口から予定外の言葉がポロッと出たことが原因ですが、

それは反省しつつ、

しかしそのおかげで児童の本気ギアが入ったし、

ヒーローも生まれたし、

落とし所を見定める力、対応力をつけたいという思いも高まった。

 

そして、まだまだ、「参加率100%」ではないな。

さらに、自分の思いを語る、語りたい児童を増やす。

 

・・・まだまだ修行に励みます!

 

 

別件ですが、

最近やった道徳の教材文、男子が主人公のものが多いなあ。

先週の「ぼく、おにいちゃんだもん」もそうだった。

今度やる「きいろいベンチ」も、

11月に公開授業でする「おれたものさし」もそう。

これは、多少なり、共感度に影響するのでは。