内容項目を読み直す19 生命の尊さ 20 自然愛護
D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関すること
19 生命の尊さ
〔第1学年及び第2学年〕 生きることのすばらしさを知り,生命を大切にすること。
〔第3学年及び第4学年〕 生命の尊さを知り,生命あるものを大切にすること。
〔第5学年及び第6学年〕 生命が多くの生命のつながりの中にあるかけがえのないものであることを理解し,生命を尊重すること。
(中学校) [生命の尊さ] 生命の尊さについて,その連続性や有限性なども含めて理解し,かけがえのない生命を尊重すること。
20 自然愛護
〔第1学年及び第2学年〕 身近な自然に親しみ,動植物に優しい心で接すること。
〔第3学年及び第4学年〕 自然のすばらしさや不思議さを感じ取り,自然や動植物を大切にすること。
〔第5学年及び第6学年〕 自然の偉大さを知り,自然環境を大切にすること。
(中学校) [自然愛護] 自然の崇高さを知り,自然環境を大切にすることの意義を理解し,進んで自然の愛護に努めること。
通知表では「生命尊重・自然愛護」と、まとめて1項目となっていますが、
道徳科の指導要領では別項目なのですね。
恥ずかしながら、私、認識が甘かったです。
19は「命」「生命」、20は「自然」。
19の中学校での目標が「生命の尊さについて,その連続性や有限性なども含めて理解し,かけがえのない生命を尊重すること。」だから、小学校も「生命の連続性や有限性など」の理解を、直接求める訳ではないけれど、教師は意識しておかなければならないと思います。
それにしても、「生命の尊さ」とは、何だろう。
祖父が戦争で亡くなっていたら、私も父も、いとこも、生まれていなかった。(連続性)
亡くなったら、我が子の代わりはいない。自分の代わりも。(かけがえのないもの)
お金やお祈りや、最新医学でも、どうすることもできない。
元には戻らない。
寿命というものがある。永遠には続かない。(有限性)
生命誕生の神秘。ものすごい確率で、その人がその人としてつくられ、このお腹で育って生まれてきた。そこから育っていくのも神秘。(神秘性?)
死にたくないと思っている人もいれば、死にたいと思っている人もいる。不思議。
死んでもだれかの記憶の中に生き続ける。だれの記憶からも忘れられる時が本当の死?映画「リメンバー・ミー」 本当の死とは?生とは?
生きるって何?
生きるために何かをするのか、何かを為すために生きるのか。
人類を繁栄させるために生まれたのか。
「生きがい」というけれど、それがもしなければ生きている甲斐はないのか。
1・2年生の「生きることのすばらしさ」って、何だろう。
…普段、当たり前で考えないこと考え、感じないことを感じる時間にできたら、それがいいのかもしれない。
「命」といえば、6年生の東京書籍の教科書掲載「命の重さはみな同じ」を思い出す。
https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/text/shou_current/doutoku/themeleaflet/page03.html
低・中学年では「人間の命」、この教材では「人間以外の命」に広げてあります。
となると、【20 自然愛護】と重なります。人間以外の命のことは、1年生から毎年のように学びますから。
それとこれとは、どう違いを出して授業を行うべきなのだろうと、自分の中で整理できていません。
話は変わります。
「命の重さはみな同じ」といいながら、
【民法】ではペットは「有体物」つまり「もの」であり、殺傷した場合は【刑法】の傷害罪ではなく器物損壊罪にあたる。
法的にも区別がある。
児童への虐待は、【児童虐待防止法】、【児童福祉法】、【刑法】が規定する
暴行罪、傷害罪などの犯罪行為にあたるが、
動物の虐待は【動物愛護法】に規定されている。
やはり、人間とその他とでは決定的に違うというようにこの社会はできている。「生類憐れみの令」が取り沙汰されるのは、それ以外の時代にはそんなことはなかったからだ。
「生きるってすばらしい」「命は大切」「生命尊重」・・・
大切にしたい自分の心と体、人生。
愛されている自分。愛する人がいる自分。
その上で、他の人の命も人生も大切、と思えるような気がする。
だから、行き着くところは、「愛」「自己肯定感」なんだろうなあ。
私は今、そう感じているだろうか。(はい。)それはいつから?(うーん、しみじみそう思うのはわりと最近かもしれません。)
【20 自然愛護】について
自然。これもまた、神秘。母。海。大地。奇跡。
「すばらしさ、不思議さ、偉大さ、崇高さ」
【畏敬の念】と重なる。
【生命】も【自然】に含まれる。でも、あえて別項目なのだ。
学年が上がるほど、環境保全的な意味合いが濃くなるからかな。
…毎度ながら、とりとめもなく書きました。